ブレイブストーリー > 神様の名前 |
※原作基準です。未読の方はご注意。
―― 神様だって?
以前クラスメイトが神様にお願いする、とか何とか言って騒いでいたのに、俺は笑った。
―― 神様か、ふうん、叶うといいな。
口先ではそう言った。でも、心の中では呆れていた。
神様なんかに頼ってるようじゃ、お前はもう終わりだな。
神様なんてもんにお願いしてるだけじゃ、願いは叶いっこない。
願い事はただ願っているだけじゃ絶対にだめで、行動に移さなければ叶うことはありえない。
神様なんて、俺はいらない。
本当に辛いときに助けてくれない神様なんて。
目を開けると、そこには目に涙をいっぱい溜めた叔母さんがいた。
俺を覗き込むようにして、手を握っている。
「美鶴ちゃん!」
叫ぶなり、またぶわあと目にいっぱい涙が溢れた。既に顔は涙でくしゃくしゃになっている。
「え……俺……」
思わず飛び起きて、手を見る。体を見る。
……何ともない。
確か、俺は幻界で死んで人柱に……。
「じ、神社の境内で、倒れてたって、運ばれてきたのよ」
叔母さんが、盛んにしゃくり上げながら言った。
「……今日は何月何日?」
夏休みに入った直後だと、叔母さんは告げた。
おかしい。
時間が戻っている。
まるで、何事もなかったみたいだ。
幻界での記憶はちゃんとあるのに、時間だけが何事もなかったかのように巻き戻されている。
三谷が何を願ったのか、大体の想像は付くけれど、俺がここに無事でいるなんておかしい。だって俺は、人柱になったはず。千年の長い時を、幻界で人柱として封印され、過ごすはずだったんじゃないのか。
―― いや、必ずしも不可能というわけじゃないのかもしれない。時間と空間がかみ合わなければ、そこはパラレルワールドとして扱われる。それが幻界の掟でもあるらしい。それは俺が母親の心中未遂から三谷を救った、あの夜で証明済みじゃないか。
だがそこに、魂の分化、とでも呼べそうな現象も伴うのだろうか。
そして分化に伴って、記憶の分化まで。
これが、女神の慈悲とやらだとでも?
……まったく、余計なことを。
願いの叶わない世界なら、いっそのことあのまま、死んだままでいればよかったんだ。
何の願いも叶わない世界なら。
「美鶴ちゃん」
もう11なのに、いまだに俺を「ちゃん」付けで呼ぶ、この若い叔母。
手の中で、顔に負けないくらいくしゃくしゃになっているスヌーピーのハンカチが、叔母の若さを更に強調している。
「ごめんね美鶴ちゃん」
あんたが謝ることなんて何もない。
むしろ、謝れと言われそうなことをたくさんした俺なのに。
保護者という名目を背負わされた、若すぎる叔母。その名目のためだけに、一体どれだけの苦労をかけてしまったんだろう。
あんたが謝ることなんて、何もない。
何も。
「ひとりぼっちにして、ごめんね」
それだけ言って、叔母はぽろぽろと大粒の涙を流した。
「……そんなの」
あんたのせいじゃないじゃないか。
あんたは親戚にたらい回しにされた俺を押しつけられて、自分と俺とを養うために必死で働かなくてはならなくて。
そのために俺が更に一人になったとしたって、そんなの仕方がないことじゃないか。
俺だって馬鹿じゃないんだから、そのくらい分かってるんだ。
あんたのせいなんかじゃないのに。
「ごめんね美鶴ちゃん、ごめんね」
ただそれだけを繰り返しながら、叔母は俺を抱きしめた。
叔母さんの腕は華奢で細くて、ふわふわとカールした茶色い髪が頬にくすぐったい。
でも、それでも、俺は振り解いたりしなかった。
誰かにこうして抱きしめられるなんて、本当に久しぶりだった。
ああそういえば母さんも昔、抱きしめられるといい匂いがしたっけ。
叔母の淡いコロンの香りを感じながら、ふとそんなことを思った。
しばらくたって、叔母は鼻をすすりながら微笑んだ。
「もうお互い、謝るのはなしにしようね。たぶん、謝り始めるとお互い終わらなくなっちゃうもんね」
俺の髪を優しく撫でながら、叔母は言う。
「これからはもっと、一緒にいるからね。側に、いるからね」
「え……」
以前の叔母からは、考えられないような言葉だと思った。
幻界へ行く前の叔母は、いつも仕事で忙しくて、俺が学校や塾から戻っても家には誰もいなかった。夕食もいつも一人だったし、叔母が仕事で帰ってこない日も多く、一人で過ごすことがほとんどだった。
そして、それが当たり前になっていた。
たまに一緒に食事をすることがあったとしても、どこかよそよそしくて、ギスギスして、お互いに距離感が掴めないまま、「殺されかけて心に傷を負った可哀相な美鶴ちゃん」なんだと、腫れ物に触るような扱いしかされなかった。
だから俺も叔母も、お互いに心を開けないでいた。
言葉も時間も、何もかもが足りなくて、感じていたのは孤独だけ。
自分一人の息使いしか感じない、静かな静かな俺の「家」。
テレビの機械音と静寂の中で、まどろむような時間を過ごしていくうちに、考えるのはいつも思い詰めたようなことばかりだった。
けれど、今俺を抱きしめて微笑む叔母からは、静寂も孤独も苦痛も、何も感じない。
感じるのはむしろ、それらとは真逆に位置するものたち。
「一緒にがんばろ、美鶴ちゃん」
耳元で言われた言葉は、少し湿っていて。
「すぐには無理でも、少しずつ、少しずつ、ね。……幸せになろうね、絶対」
ぎゅっと、更に強く抱きしめられた腕は、どこまでも温かく。
二度と戻れない記憶の中で、俺を抱きしめてくれていた母さんの温かさを思い出した。
温かかった腕。温かかった笑顔。安心して無条件に寄りかかることのできた人たち。
……もう二度と、手に入らないと思っていた。
俺は血がにじむくらい、唇に歯を立てた。
……何だよ。何なんだよ。
こんなのって。
こんなのってまるで、俺が悪いみたいじゃないか。
心を閉ざして、殻に閉じこもって、周りがみんな敵みたいにすら思ってて、幸せそうな奴らを馬鹿にして、斜に構えて。
手に入らないものと、決めつけて。
―― 一緒に帰ろう、ミツル。
あいつにそう言われたときも、鼻で嗤った。帰ったって、誰が待ってるって言うんだ。俺には何もないし、誰もいない。
失ったものを手に入れたくて、周りの全てを切り刻んだ。
手に入らないものと、決めつけて。
それなのに、何なんだよ。
これじゃあまるで、独りよがりだったみたいじゃないか。
何も見えていなかっただけだって、そう言われてるみたいじゃないか。
欲しいものはすぐ側にあるんだって、気付けなかっただけなんだって。
そう言われてるみたいじゃないか。
「一緒に……、頑張ろうね」
―― 俺は、唇を噛んで、「うん」と、そううなずくのが精一杯だった。
唇を噛んで堪えていなければ、声を上げて泣いてしまいそうで。
抱きしめてくる叔母さんの、ひらひらしたピンクの上着をぎゅっと掴んだ。
一瞬瞼の裏に、辿り着きたいとあれほど願った塔の上の女神の、その笑顔が見えた気がした。
ぐすっと鼻をすすり上げて、叔母さんは「えへへ」と笑った。年齢よりも更に幼く見える笑顔だった。
「美鶴ちゃん、これからは色々ワガママ言っていいからね。今日の夕飯は美鶴ちゃんの好きなものにしようね。ね、何がいいかな?」
ちょっと赤くなったままの目元を見られたくなかったし、やっぱり少し照れくさかったから、微妙に視線を外して俺は言う。
「ビーフストロガノフと肉じゃがと天津飯」
ひくっと叔母さんが引きつった。
「む、無茶言わないでよ、どれもメインじゃないの」
「今ワガママ言っていいって言った」
うぐっと言葉に詰まった叔母さんに、俺はニヤリと笑ってみせる。
「て、てゆーか私の腕じゃ、かろうじて肉じゃがくらいしか……」
もごもご訴える叔母さんがおかしくて、思わず吹き出しそうになってしまう。何だか、お節介でお人好しな誰かを見てるみたいだ。
「あのさ」
「え、え? な、何かな? 肉じゃがだけじゃイヤかな?」
そうじゃなくて。
……っていうかこの人、実は俺より子供っぽいんじゃないのか?
「今度さ、友達、呼んできていいかな。三谷っていうんだけど」
「みたに、くん?」
あれ、とちょっと首を傾げたような感じになって、
「前にうち、来たことないよねえ?」
ないはずだ。だってもしあいつがここに来ていたとしたら、それは俺が幻界へ消えた後だろうから。
「うん、そいつ、馬鹿みたいにお人好しでお節介焼きなんだけどさ。……いい奴なんだ」
「ふーん」
叔母さんが、にっこり嬉しそうに笑った。
俺が叔母さんに、こんな風に周りの人間のことを話すのなんて、初めてだったから。
「うん、一人と言わずいっぱい呼んじゃいなよ!叔母さん腕を振るってごはん作るから!」
「肉じゃがばっかりはイヤだよ」
「しっ、失礼ね!他にも作れるわよ!」
たまごやきとかサラダとか……と、自分の作れるメニューを指を折りながらぶつぶつ上げていく叔母。どうも、どれもこれも簡単なもののようだけれど。
それでも、嬉しかったから。
「じゃあ気は進まないけど、あいつの連れの馬鹿っぽいのと、……そうだな、宮原も呼ぶかな」
叔母さんは嬉しそうに、楽しそうに、明日お料理の本を買ってこよう、などと笑っている。
……何だか、こういうのって悪くない。
「あ、美鶴ちゃん、一緒にお買い物行こ!2丁目のスーパー、5時からタイムセールやってるって広告入ってたのよ!」
ぽん、と手を打って、叔母さんの目が輝く。
「荷物持ちさんがいるから、ちょっと多めに買い込んじゃおうかな」
「それって、もしかしなくても俺?」
病み上がりなんですけど、などという言葉が出かけたけれど、久しぶりすぎる「何気ない家族の会話」が嬉しすぎて、思わず浮かんでくる切なさとくすぐったさに、微笑みの方が先に出てしまう。
神様は俺の願いを叶えてはくれなかった。
一番辛かったときに、救ってはくれなかった。
だけど、俺が辛さを乗り越える強さを手に入れたとき、世界は本当に優しいんだと教えてくれた。
こんなにも温かいんだと、教えてくれた。
この世界も、そんなに捨てたもんじゃない。
そう思うと、何だか、神様ってのも、悪くないのかもしれない。
「……まあ、たまには、信じてみてやるかな」
「え?」
きょとん、となる叔母さん。
「何を? 私、お菓子系はフ○ーチェくらいしか作ったことないんだけど」
……そんなこと聞いてない。
この人やっぱりあのお人好しに似て、天然だ。
俺は笑い出しそうになりながら、言ってやった。
「神様、って奴さ」
やっぱり、叔母さんはきょとんとした顔をしている。
「それより、行くなら早く行こうぜ。タイムサービスって、早く行かないとさくさく終わっちゃうんだよ」
「げ、そうなの!?」
何だか美鶴ちゃんの方がよく知ってそうだなあ、なんて、叔母さんがぼやく。
何か、悪くない、こういう何気ないやりとりっていうのも。
今度新しいクラスで神様を信じてる奴がいたら、悪くないんじゃないかって、きっと叶うぜって、言ってやろうと思う。
だけど、はっきり言ってすごく悔しいから。
「女神様」って奴だけは、まだしばらく、信じてやらないんだ。
|
原作では美鶴はハッピーエンドだったのか、分からない終わり方でしたので救済的に。
若いおばさんと仲良くなって幸せになりなさい美鶴ゥゥゥゥゥ!!という気持ちで書きました。 [ 戻る ]
|