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Novel
DRAGON QUEST V + 天空物語 > やっちゃった〜CRAZY CAT〜

 目を覚ましたとき、すぐ目の前に、ちょっと出っ張った喉仏があった。
 規則正しく動く肩と、自分のものとは別の吐息。
 ドリスは、自分の今おかれている状況が、瞬間、理解できなかった。
 目の前にいるのは男。そう、若い男。細い首にかかるサラサラの銀髪から、思い当たるのはただ一人。
(……カデシュ?)
 状況が分からなかった。
(なんで、カデシュがここにいるの?)
 起きあがろうとして、自分の身体が、横に寝ている人物によってガッチリ押さえられていることに気付く。おそらく正しくは、抱きしめられている、とでも言うのだろうけれど、今のドリスには押さえ込まれていると言った方が正しいような気がした。
 そして、気付いた。
(……ちょっと待って……?)
 一瞬にして、ぼんやりしていた脳がクリアになった。
(ななななんであたし、シャツ一枚なの!?)
 そーっと、自分の身体を探ってみる。
 自分が羽織っているのは、男物のシャツだった。袖丈が長くて、微妙に手が出ない。
 そしてその下は、間違いなく、素っ裸だった。下着すら付けていなかった。本当に、文字通りの素っ裸だったのだ。
 そして、また気付いた。
 自分を抱きすくめた形で眠りこけているこの男もまた、黒のスリムパンツ姿の、半裸状態だということに。血が逆流していくような気がした。
(な、な、な、何なの―――!!??)
 頭がドカーンと噴火したような状態になって、身体が凍りついた。
(どどど、どうして? なんで?? どういうこと??? ま、ま、ま、まさか………)
 パニックに陥って、もぞもぞ動きながら何とか、彼の腕から這い出そうともがいていると。
「……何を暴れている……」
 鼻にかかったような寝起き独特のぼんやりとした声で、当のカデシュが呟いた。
 朝は弱いらしく、まだ眠気に半分以上支配されているようだ。強い瞳は、まだ開かない。
「もう少し……静かにできないのか」
 腕を付いて、ドリスはどうにかこうにか、上半身を起こした。
 そして、状況を正しく理解しようと、辺りを見回した。
 自分たちが寝ているのは、どうやらカデシュの部屋のベッド。
 側にある窓から、カーテン越しに朝日が入っている。時計を見ると、6時前だった。
 ベッドの下に、昨日ドリスが着ていた服が一式、落ちている。自分で脱いだような状況ではなさそうだ。
 部屋の中に置いてある姿見に、自分の姿が映った。鏡の中の自分に、ドリスはまたしても、体中の血が逆流しそうになる。
 今自分が羽織っているシャツは、昨日カデシュが着ていたものだ。そう記憶している。
 そして無造作に止められたボタンの間に見える肌に、自分の記憶にない時間、何があったかを証明している紅い刻印。
「ちょ、ちょ、ちょっと、ななな、なによこれ」
 慌てて、胸元に目を落とした。シャツの前をそーっとはだけさせてみると、それは一目瞭然だった。
 ドリス自身には見えないけれど、首筋から胸元、あちこちに、無数の紅い花が咲いていた。
 全くそういう経験のないドリスでも、メイドたちの話で耳にはしたことがある。それは、キスマークという名の、想いの証。心から愛する者を、愛しいと言う時にできる、想いの証。愛しい人を自分のものにしたいという、その強い気持ちが付ける、独占欲の刻印なのだと。
「うそ、うそ、うそ、マジで……?」
 一瞬にして顔を真っ赤にして、ドリスは自分を抱きしめた。
 抱きしめて、気付いた。自分の身体に残る、カデシュの匂いに。
 まだ自分の腰の辺りに腕を回して、逃がさないと、離れさせはしないとでも言うかのように、しつこく抱きすくめている彼の。

「きゃっ!」
 突然支えていた腕を引っぱられて、ドリスは再び、ベッドに倒れ込んだ。
 再び、カデシュの腕の中に引き戻されてしまった。
「……落ち着け」
 赤い瞳が、ドリスの目を覗き込んでいた。
「先に誘ったのはお前だろう」
「え」
 低く呟くと、ドリスは途端に目をつり上げた。
「そんなわけないでしょ!!」
「ある」
 キッパリと、彼は言った。
「昨夜突然押し掛けてきて、抱きついてきたのはお前だ」
「ええええええ!!??」
 ガバッと身体を起こすと、ドリスはブンブンとオーバーなくらい、真っ赤になった顔を振った。
「嘘よウソようそよ!!! あたしがそんなことするわけないもん!!」
「あれを見ろ」
 カデシュの指さす方を見て、ドリスはサアッと青くなった。
「あれだけを一人で空にすれば、記憶も飛ぶだろうな」
 ドリスの頭の中が、瞬時に真っ白になった。
 カデシュの指の先にあったのは、大きな酒瓶。洒落たデザインのロゴには、大きくウォッカの文字。しかも、側に水や氷が見当たらないところを見ると、どうやらストレートで飲んでいたらしい。
「本当に何も覚えていないと言うのか?」
 半泣きになって、ドリスはこくりとうなずいた。カデシュは少々機嫌を損ねたように、目を細くする。
「何があったのか、話した方がよさそうだな?」
 また、ドリスがこくりとうなずいた。


 『それ』は、突然嵐のようにやって来た。
 廊下をドタドタドタと走る音が聞こえて、既に9時を回った夜中なのに一体何事かと、ベッドに腰掛けて読書をしていたカデシュが顔を上げたその時。
 バターン! と壊れそうな音を立ててドアが開かれた。
 そして、飛んできた。
 清々しい、輝くような笑顔だった。
 どこか、壊れていた。
 容赦ないボディアタックだった。
「カーデシューーーー!!!」
「―――――ッ!!??」
 どかーっ! と、柔らかい身体が降ってきた。
 ふにゃふにゃでへにゃへにゃな、猫のように締まりなくゆるんだ口元で満面の笑みを浮かべて。
 そこいらの軟弱な男たちではとても敵わないくらいに鍛えられた、メリハリのあるスタイルが、情け容赦なく自分に降ってきたのだ。
「な……っ」
 半ば押し倒される勢いでダイブされ、さりとてそれを避けるわけにもいかず、カデシュは自分に向かって「落ちてきた」物体を両腕で受け止めた。
「い、一体何事だ?」
「んにゃあ〜〜〜」
「ド……、ドリス……??」
 ごろごろごろ、と喉でも鳴らしそうな感じで、ドリスはカデシュに抱きついて、肩に頬をすり寄せている。完全に猫になっていた。
「お前、酒臭いな。飲んだのか?」
「うくくくっ」
 怪しさ極まりない笑みが、ドリスの愛らしい朱唇から洩れる。
 すっかり出来上がってしまっているようだ。
 ふと気付くと、ドアのところでグランバニア国王が仲間にしたモンスターたちが、何とも言えない表情で様子をうかがっていた。人語を解する種の、スライムナイトとネーレウスとオークキングだった。
「お前たち、まさかこいつに飲ませたのか」
「め、面目ないでござる」
 スライムナイトのピエールが、うなだれたように俯いて言った。
「まさかドリス殿が、こんなに早く潰れてしまわれるとは……」
「平気な顔でカパカパグラス空けやがるからよ。オレぁてっきりイケルもんだと思っちまって……」
 オークキングのオークスが、でかい図体に似合わない、ぼそぼそという感じの声で言った。
「何を飲ませた……?」
「2階の酒場に置いていた、古い銘柄のものじゃが……」
 ネーレウスが、心配そうにドリスを見ながら言った。
「確か、『ウォッカ』とかいうものじゃったな」
「んにゃーーーーー……」
 ごろごろとカデシュに甘えつきながら、ドリスは「くふふふっ」とこれまた怪しげな笑みを浮かべている。
「こいつを一人で空けちまいやがったんだよ。しかもストレートで」
 証拠とばかりに取りだした空の酒瓶を、ドア近くのテーブルに置いて言うオークスの言葉に、カデシュは開いた口がふさがらなくなった。
 責められると思ったのか、ピエールは手をブンブンと振ってみせて、
「いやいやいや、決してドリス殿を潰そうなどと思っていたわけではござらん! 拙者らはただ、この度メインパーティーから外されたために、久々にのんびりと酒を酌み交わしていたのでござる!」
「そこへネエちゃんが顔出しに来てよォ。一緒に飲もうってことになったんだよな」
「何せ、むさ苦しい男ばかりの席じゃったのでな。喜んで加わっていただいたのじゃが……。わしらも迂闊じゃったわい」
「迂闊ですむか!」
 思わずカデシュが怒鳴った。
「こいつはまだ未成年だ! 酒を呑んではならない年齢なんだ!」
 するとピエールたちは、ギョッとした顔をした。
「そ、そんなものがあるのでござるか、人間には」
「や、厄介じゃのう」
「俺たちにゃー、そんなけったいなもんねえからなあ」
 ハアッとため息をついて、まだカデシュの肩に顎を乗せてごろごろと甘え付いているドリスを、ごろんと横に転がした。シングルベッドなので、落ちないようにちゃんと支えてやりながら。
「ドリス殿が突然席を立たれて駆け出してしまわれるので、慌てて後を追ってきたのでござる」
 ピエールが、ごにょごにょと言った。
「傷害とか器物破損とか、未然に防がねばならんしのう……」
 ネレウスが、申し訳なさそうに続ける。
「まあ、何にもなかったから良かったんだけどよぅ」
 オークスが、様子をうかがうように上目遣いでカデシュを見つつ、ぼやいた。
 3人とも、まるでいつ上司から雷を落とされるかビクビクしている、叱りつけられた部下のようだった。
 カデシュは特大のため息をつく。
「もういい、分かった」
 半ば投げやりになったような口調で、ドアのところで困り果てているモンスターたちに、言った。
「お前たちはもう行け。こいつは後で部屋へ担ぎ込んでおく」
「め、面目ないでござる!」
 ピエールがかしこまって頭を下げた。
「俺たちはまた飲み直してるからよ」
「何かあったら呼んでくだされ」
 何かあったところで、果たして彼らが駆けつけてくるのかどうか。
 来ない方に1万ゴールド賭けてもいい、とすら、カデシュには思えた。
 無責任に言い放って、彼らはドアを閉めた。

 厄介事を押しつけられたカデシュは、自分の座るベッドに転がって、すかーーーと気持ちよさそうに眠っているドリスを見下ろした。
(なんて無防備な……)
 本当に年頃の娘なのだろうか、と思う。
 なんて無邪気で、なんて可愛い寝顔なのだろう。
 睫毛が長く、頬は白くぷにぷにと健康的で、紅をさしているでもないのに赤く瑞々しい唇。
 こんなにきれいで可愛いのに、本人にはまるでそれを意識しているという気配がない。
 そして、あまりにも無防備に、男である自分にそれを晒しているということにも、まったくの無頓着で。自分がカワイイ女のコなんだということを、まるで分かっていないんじゃないだろうか。
 そんな無頓着さで、時に若い男たちが振り回されてしまうのだということにも、気付かない。
 カデシュは、かつてテンたちとの旅の間に立ち寄った町でドリスに想いを寄せた、純朴なリンガー見習い少年のことを、少し思った。
「おいドリス。部屋へ戻れ」
「ん〜〜〜〜〜〜〜……」
「寝るなら自分の部屋へ戻ってから寝ろ」
「ん〜〜〜〜〜〜〜……」
 むずがる幼児のようなドリスに、カデシュは辛抱強く呼びかけた。
 だがしかし、いつもの『快活な世話焼きおねーさん』なドリスが、酒が入ると途端に『手のかかる困った女のコ』になってしまうのを見ているのが、少し楽しくもあった。
「おい、起きて部屋へ行け」
「やーーー」
「おい?」
 眉間にめいっぱい皺を寄せて、ドリスはうなった。
「もうここで寝るーーー」
「……………」
 じゃあ私にどこで寝ろと言うんだ。
 そう言いかけて、酔っぱらいに何を言っても無駄だと思い、ため息をつく。
「ぬがせて」
「……は?」
 突然言われて、カデシュはぽかーんとしてしまう。
 今、何て、言った??
「服、ぬぐの。ぬがせて」
「な、何を……」
「ぬがせて」
「い、いや、だが……」
「ぬーがーせーてー!!!」
「分かった! 分かったから叫ぶな! もう夜中なんだぞ!」
 訂正。
 『ものすごく手のかかる困った幼児』である。
 とりあえずブーツを脱がせ、上着と装身具を外す。
 ドリスの胸で揺れていた、ビアンカから貰ったというおみやげのペンダントを外し、ため息と共に、それをナイトテーブルに置いた。
 キャミソールとミニスカ、というところまで来て、カデシュは手を止めた。さすがにそれ以上はできなかった。赤面して手を止め、背を向けかけたカデシュに、ドリスはなにやらむにゃむにゃと呟く。
「……あとは自分でしろ。私は別の部屋へ行く」
 ベッドから立ち上がりかけるカデシュの腰に、ドリスが素早くタックル!!
「な……っ!」
「まだぁ」
「何を言って……」
「もっとぉ」
 ぽおっと焦点を失った、とろんとした虚ろな目。上気した頬。嘆願するように、すがりつきながら見上げる瞳。くうん、と鼻を鳴らして、仔犬のようにしがみついて。
 正直に言おう。
 もの凄く色っぽかった。
 一瞬にして、カデシュは耳まで真っ赤になった。色恋なんて生まれてこの方、まるで経験のないカデシュ王子には、これはもう、ひとたまりもなかった。
「えいっ!」
 一声と共に引っぱり戻されて、カデシュは再びベッドに座らされた。心臓が過去最高のスピードでバクバク言っていた。このままいけば、「心臓部熱暴走なんとかかんとか」の奇病にかかって死ぬんじゃないかと思った。
「どーしたの? ん?」
 気がつくと、いつの間にかドリスが、とろんとした瞳で顔を覗き込んでいた。
 ブルーブラックの髪が、目の前でサラッと揺れた。
「……いや……別に……」
「う・そ」
 唇を尖らせて、くすくす笑って、ドリスは唇をへにゃっと曲げた。
「カデシュ、真剣な顔してた。話して、ドリスちゃんに」
「何でもないと言っただろう」
「言いなさい」
 ベッドの上で、ドリスはカデシュの身体に覆い被さるようにしてにじり寄ってくる。
 あまやかな吐息から逃げるように、カデシュは上半身を引いて、後ろに手をついた。
「カデシュ」
「な、何だ」
「あたしたちって、なに?」
「な、なに、とは?」
「あたしたち、仲間デショ?」
「あ、ああ」
 ドリスの虚ろながらも大まじめな瞳に、カデシュは圧されっぱなしだった。
「だーいじなだーいじな、仲間。家族、デショ? なのに、ヒミツ、いいのぉ?」
 じりじりと、四つん這いのドリスが迫る。
「あ……いや、その……」
 つい目が、キャミソールから覗く白く豊かな胸の谷間に向いてしまうところが、自分で辛かった。
「いいのぉ?」
「………………」
 ドリスの様子がおかしい。何だか、ジリジリにじり寄りながら、ウズウズしている。
 悪戯っぽい目でカデシュを見て、何だかどうしようもなく可笑しいのを我慢しているみたいに、小動物のようにへにゃへにゃと曲がった唇が、むにむに動いていた。
 何かに似ている。カデシュは思った。何かに、似て……。
 「あ」と思い当たった時は、既に遅かった。
「カデシュ好きーーーーーっ♪♪♪」
「んむーーーーーっ!!?!!」
 不意にドリスがカデシュに飛びかかって、その柔らかい身体ごと彼に覆い被さり、カデシュの唇を奪ったのだった。
 猫だった。あの、ウズウズして我慢できない感じを体中から発している姿は、人間がパタパタと振る猫じゃらしに飛びかかろうとする、猫そのものだった。
 ……気付くのが遅かったけれど。
「………っ!!」
 慌てて顔を背け、ドリスの唇から逃げたカデシュは、首元まで真っ赤にして、覆い被さってくる愛らしい悪魔を見た。
 危なかった。危うく、理性が吹っ飛ぶところだった。
「い、いい加減に……」
 言い終わる前に、頬にチュッとキスされた。
「お、おい、……ドリ」
「うるさい」
 ドリスは、ちょっと怖いくらいの目で言った。
「あたしから逃げようなんて、100万年早いのよ」
 一体これは誰だ!?と叫びたくなったカデシュであった。
「お、お前、どうかしているのではないか」
 自分に覆い被さって、一向にどけようとしないドリスにそう言うと。
「………………」
「な……何だ……」
 沈黙が怖い。
「カデシュ、あたしの頭、おかしいって言った」
「そ、そうではなくて、酒を呑んでいつものお前ではないと……」
「お酒呑んで頭おかしいって言ったーーーーっ!!」
「ちがう!!」
「おしおきーっ!!」
 叫んで、ドリスは再びカデシュの唇に吸い付いた。
 あんまりだ。ドリスには悪戯ですむかもしれない。だが、される側になってみろ。ヨレヨレになっているからと言って、かわいい女のコに押し倒されて、唇を奪われて。これはあんまりだ。悪戯が過ぎる。
 ちゅっちゅっと音を立てて、柔らかく温かいものが唇を吸う。
 その凶暴なほどのあまやかさに、理性が飛びそうになった。
「い、いい加減にしろッ」
 ぐいっと肩を掴んで、引き離した。
「酒に酔った勢いで、好きでもない男に、こんなことを」
 チュッと頬にキスされた。ビックリしていると、ドリスがカデシュの瞳を覗き込んで、やさしい目をして言った。
「あたし、カデシュのこと、好きだよ? 大好き。それ、ウソじゃないよ。ホント」
 そう言いながら、『お姉さんが困った小さな弟に言い聞かせる』ように、カデシュの髪をなでなでした。
「カデシュ、やさしいし、可愛いもん。すごく。だから、好き」
 ちゅ、とやさしく頬にキスされる。ドリスにキスされるたび、睡眠薬を嗅がされたように、頭がくらくらして何も考えられなくなりそうだった。
 今はもういない家族以外に、こうまで、何の飾り気もないストレートな言葉でやさしく「好き」と言われたことはない。まして「可愛い」なんて言われたのは、生まれて初めてだった。
「……私の……どこが『可愛い』というんだ」
 目を泳がせて、赤くなった顔をそっぽ向けた。カッコイイとか、ステキとか、凛々しいとか。他の言葉で誉められたことはあっても、「可愛い」と言われたことはなかった。
「そうやって、テレてるとこ。可愛いよ?」
「…………」
「すぐ赤くなっちゃうんだもん」
「…………」
「好きだから、くっついていたいの。くっついてたら安心するの。こんな感じ、カデシュだけ」
「そ…………」
 言いかけた言葉に、やさしく口づけが降りてきた。
 ドリス自身経験が少ないからか、決して上手とは言えないキス。それでも、唇の甘い柔らかさで包むようにして、囁くように、ついばまれる。それだけで、くらっと眩暈にも似た感覚が体中を駆け抜けた。
「駄目だ……ドリス……」
 うわごとのように囁きながらも、カデシュは陶然となって無意識に目を閉じていた。
 意志とは関係なく、ドリスを抱きしめる腕。むしろ、意志など吹っ飛んでいるような感覚。
 意志よりも、もっともっと身体の奥の、心の深いところで、ドリスを求めている。
 自分はドリスを求めている。そう、感じた。
 母親に甘えるのとは、少し違う。けれどそれによく似た安堵感と、それとは別の種類の感覚。
 柔らかい。
 温かい。
 甘い。
 鼻先で、吐息が入り混じった。
 衣擦れの音。
 ドリスの甘い匂い。
 心地よすぎて。
 酒の匂い。
 ウォッカの匂い。
 サラサラの髪が、頬をかすめる。
 キス。
 キス。
 もう一度。
 もっと深く……。
 ぞくぞくっと体が震えた。体中が汗ばんでいた。まるで、誘導されているような。
 もっと、求めて。
 もっと、欲しがって。
 もっと、もっと、もっと。
 もっとあたしを欲しがって。
 そう言われている気がした。
 ドリスが、何だか泣き出しそうな声で、カデシュの名を呼んだ。ため息とも、諦めとも付かない吐息。
 魂を全部持って行かれそうな気がした。
 そして、それに溺れてもいいとすら思えてしまう自分が居る。
 溺れてしまいたいと思っている自分が居る。

 幸せな夜だった。



「…………」
 さすがに途切れ途切れになりながら、赤面しつつ話を終えたカデシュを、ドリスは茫然とした面もちで見つめる。
 ぽかんと開けたままの唇が、力なくぱくぱくと開閉を繰り返している。
 ベッドに腰掛けながらも、身体が凍りついているらしかった。
「……理解は、してもらえたようだな」
 茫然としたまま視線を宙に泳がせているドリスに、カデシュはボソッと呟いた。
「……あー……、……よかった、ぞ?」
 その言葉を聞いて、ドリスが一瞬にして首元まで真っ赤になった。キッと涙目でカデシュをきつく睨みつけると、
「ばかばかばか! 何てコト言うのよっ! このえっち! すけべ! 最低!!」
 枕代わりにしているクッションで、ぼかぼかカデシュを殴った。見事に真っ赤だった。けれど、殴られているカデシュはなぜか余裕の表情。
「ふん、自分から襲ってきておいて、言うに事欠いてそれか」
「な……っ!」
「教えてほしいか? 昨夜お前が、何度私に『好き』と言ったか」
 いじわるな微笑すら浮かぶ、その表情。
「ついでに言うと、私は一度もそんなセリフは言っていない。お前が一方的に襲ってきたんだ。それなのにこの仕打ちか?」
 ん? と言うように、まるでいたずらっ子のように、ドリスの顔を覗き込む。
「〜〜〜〜〜〜〜ッ! ばか―――ッ!!!」
 ドリスが真っ赤になって叫んだ、その時。
 トントン、とドアがノックされた。
「カデシュ様、ご朝食をお持ちしました」
 無遠慮に、何の考えもなしに、悪気のない顔でひょこっと覗き込んだのは、この城に仕えるメイド。
 彼女はドアを開けて中の光景を目にした途端、一瞬目をぱちくりっと瞬きさせた。
 そして、真っ赤になって固まっているドリスと、真っ青になって同じく固まってしまったカデシュの両者と目が合い、
「…………」
「………………」
「……………………」
 そのまま、そそくさとドアを閉めて出ていった。
 ベッドの上で固まっている二人が、真っ青になったのは言うまでもなかった。


 朝食の席に付くまでの間に、城中に「カデシュ様とドリス様がお床を共に!」という電撃的ニュースが触れ回ってしまったようで、城の者たちの態度がどこか、ヘンだった。
 国王がテンだけを連れて、仲間たちと旅に出ている今、城に残っているソラとビアンカ王妃は、興味津々という顔をして二人を見たし、運悪く残っていたミニモンはすっかり泣きはらして枯れ果て、かと言えばそこいら中の兵士に八つ当たりをしていた。
 オジロンやサンチョはどこかギコチナイ笑みを浮かべ、気恥ずかしいような表情で終始落ち着かない様子だった。
 ピピンはその日、姿を見せなかった。(知り合いの兵士の話では、噂を聞いた途端にぶっ倒れ、後ろにあったブロンズ像に後頭部を強打し、フラフラしてよたったところにゴーレムのゴレムスと激突し、倒れかかったところがちょうど歩いていたダンスニードルのダニーの上だったもので、全治3週間の大怪我を負ったらしい)
 昨夜ドリスに酒を呑ませた張本人であるピエール、オークス、ネレウスの3人は、ニヤニヤニヤニヤと締まりのない顔で、主にカデシュをからかった。そして、哀れにもカデシュの格好の八つ当たりの対象にされた。
 メイドたちは二人の前では終始輝かんばかりの笑顔だったが、通りかかった部屋の中から大勢の号泣が聞こえた。そしてそれは兵士の宿舎でも同じだったらしい。


 その日一日、ドリスはどこへ行っても恥ずかしくて死にそうだった。今すぐ、自分かカデシュのどちらかをこの場で埋めて欲しかった。
 一方カデシュは、別の思いで真っ青になっていた。
 まさか今更、最後までいってない、なんて言えなかった。
 実は、ドリスはさんざんカデシュとキスした後、いざこれから、という時になって酒が回り、こてっと寝入ってしまったのである。
 思わずカデシュが目をぱちくりさせたのは言うまでもなく、苦笑しながら自分の着ていたシャツを着せ、幸せそうに眠り込んだドリスを抱いて眠った、というだけだったのである。
 カデシュはわざと真相を隠して、ドリスの反応をうかがったのだ。
 その気にさせられたのに生殺しを味わわされた悔しさもあった。だがそうでもしなければ、昨夜彼女が口走っていた言葉が本当なのか、ウソなのか、酒の勢いの戯れ言だったのか、カデシュには判断の仕様がなかったのだ。
 ドリスの本当の気持ちが知りたかった。
 真っ赤になって困るドリスが可愛くて、ちょっと調子に乗ってからかっただけだったのに。
 なのに、メイドにその現場を押さえられてしまうとは、まさに一生の不覚だった。
 これから一体どうしたものか……。
 廊下を歩きながらそう考えあぐねていたとき、前から歩いてきたドリスとふいに目があった。彼女の周りにいたメイドたちは、好奇の目で二人を見たが、ドリスはツンと顎をそらせてしまう。
 やれやれ、とカデシュがため息混じりに思っていると。
「……今夜は絶対、あんたの口から聞くんだからね」
 覚えてなさいよ、とぽそっと低く、すれ違い様に囁いて、彼女はスタスタ歩いていった。
「……ドリス、今の……」
「うるさい!! もう知らない!!」
 肩を怒らせたまま、ドリスはどすどす歩いていく。
 彼女に付いていくメイドたちが、カデシュに一礼して続いていくが、その顔はみんなくすくす微笑んでいた。唖然と見送るカデシュには、見なくても、ずんずん歩いていくドリスが耳まで真っ赤になっているんだろうと分かった。
 ウソが本当になりそうだ。それが分かって、思わずくすぐったそうに照れ笑いをもらした彼の姿を見た者は、誰もいなかった……はずである。



前後編に分ければよかったですね、長くてすみません。
ちなみに「やっちゃった」は「やらかしちゃった」という意味合いですのでね!(言い訳)
これの後日談と言うか、ちょっと真面目な続編が「恋の手ほどき」に当たります。裏に保管中です。

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