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Novel
DRAGON QUEST V + 天空物語 > 想いあふれて〜To Heart〜

 上空を見上げれば、そこは満天の、降るような星空。
 濃い藍色の空に、宝石のような星々が惜しげもなく眩い輝きを放っている。
 ストロスへと船体を押し進める夜の海は、ただ短調に波の音を繰り返し、静かな風を吹き付けてくる。おそらく明日には、ストロスへ到着するのだろう。
 ドリスはキャミドレスに似た白いワンピースを着て、デッキでボンヤリと夜空を見上げていた。
 吸い込まれそう。
 ふと、そう思う。
 たくさんの星が、今自分を見下ろしている。自分が見上げているのとは、比べ物にならないくらいの力を感じる。
 この無数の星々の、その1つ1つに、星という命があって。きっとそこには、同じように生まれては消えていく命たちがあって。互いの存在を知ることもなく、消えていく命がある。
 そしてそれは、この星の上でも同じ。
 自分という存在が、とてもちっぽけに思えた。そして同時に、とてもあたたかいものだと思えた。
 存在しているということに、喜びを感じる。
 生きているということが、とてもすごいことなんだと感じる。
 それはきっと、旅に出るまでは感じなかったこと。
 「彼」に出会うまで、「彼」と話すまで、「彼」と触れ合うまで、考えもしなかったこと。

 ドリスはふっと息をついた。
「……それで?」
 ふと、傍らに座っていた男が言った。
 いつもと同じ漆黒のマントをまとい、脇に置いたカンテラの光で本のページをめくりながら。
「話とは何だ」
「……別に……」
 ぽつりと呟くように答えると、彼は怪訝そうに顔を上げた。
「用もないのに呼び出したのか?」
 ため息混じりに、カデシュはそう言った。
「いいじゃない、別に」
 拗ねたようにドリスは答える。
 カデシュとは、同じ積み荷の上に、反対を向いて座っている。だから、お互いの顔は振り向かないと見えない。ドリスは海を向いて、カデシュは船内を向いて。
「用がないと、呼び出しちゃダメなわけ?」
 するとカデシュはフウッとため息をついた。
 こういう雰囲気は苦手だ、とでも言いたそうな顔だった。
「……体調、どう?」
「……今のところ問題ない。少し休んだから、楽になった」
「そう……」
 ちょっと哀しそうな、小さな笑みが浮かぶ。
 次第に倒れる回数が増え、傷が痛む間隔が短くなっている。ドリスの目から見ても、それは明白で。本当なら、即刻城に戻って医者にかかり、治療に専念しなければならないほどに。
 苦しむカデシュを見ていたくない気持ちが大きい反面、それでも側に居てあげたい気持ちも大きい。
 自分には何もしてあげられない。その思いが、ドリスを苦しめていた。
 私には、側にいてあげることくらいしか、できない……。
 カデシュが、ドリスの視線に気付いて顔を上げた。
「……そんな顔をするな」
 彼は目を逸らさなかった。
「こればかりは、……仕方ない」
 自嘲するような、哀しい笑みが、わずかに浮かんでいた。
「……どうしようもない」
 ドリスの目が、切なさに潤んだ。
 どうしようもない。それは諦めの言葉。何も方法がない、自分には抵抗する術がないのだと。
 彼は、諦めているのだろうか。どうしようもない、仕方ないことなのだと、割り切っているのだろうか。
 ……割り切れるのだろうか。
「そんな顔をするな」
 もう一度、カデシュは言った。かすれるような、声。
「お前のそんな顔は、もう見飽きた」
「誰のせいだって、思って……」
 唇を噛んだとき、潤んだ瞳から小さな雫が一粒、ふっくらした白い頬を伝った。
 言葉を詰まらせたドリスの、その頬に手を伸ばして、カデシュは伝い始めた涙をすくう。
「……泣くな」
 言われて、ドリスは慌ててカデシュの手を払う。
「泣いてなんか、ない」
「泣いてる」
「違う」
「違わない」
 涙をためて、頬を赤く染めて、ドリスは悔しそうにカデシュを睨んだ。
 カデシュは、必要以上にドリスに触れない。故意にそうしているのではないかと思うほどに。抱きしめたくても、触れたくても、彼はそれをかたくなに拒んでいるようだった。
 まるでそれが、罪深い行為であるかのように。
「あんたなんか、キライ」
 顔を伏せて、ドリスはポツリと呟いた。泣き出しそうな顔で、呟いた。
「大キライ……」
 声までが、泣き出しそうに震えていた。
 どうして、分からないのだろう。ドリスはもどかしさに震えた。
 自分が泣いているのは、触れてほしいからなのだと。抱きしめてほしいのに、それを拒まれて、泣いているのだと。どうして、この男にはそれが分からないのだろう。
「……そうか」
 ぼんやりと呟くように、カデシュが言った。
「私も、お前の涙は嫌いだ……」
 まるで私を否定されているようだから。
 彼はそう続けた。
「否定、なんて、してない」
 ただ、触れてほしいだけ。どこにも行かないと、抱きしめてほしいだけ。
 たとえそれが、気休めだと分かっていても。
「……私のために泣くのは、やめろ」
「…………」
 またも他愛なく伝った涙を、カデシュの手が拭う。
「私には、……何もしてやれない」
 触れることも、抱きしめることも、想いを言葉にすることさえも。
 好きとか、愛してるとか、そんな言葉では表しきれないものが、この世にはある。
 言葉にする方が、かえって安っぽく聞こえてしまうことも、この世の中にはある。
 愛していると、言えないほどに、大切なのだということ。
 けれどそれは、言葉にしなければ伝わらない想いでもあって。
 ドリスの目から、大粒の涙がこぼれる。
「……なんで?」
 喉の奥から、かすれたような声が出た。
「触れることって、そんなに悪いこと?」
 涙に濡れた瞳で、カデシュを見上げた。
「あたしはここにいるの。カデシュもここにいるの。それを確かめることって、そんなに悪いこと?」
 とくん、と、カデシュの胸が鼓動を刻んだ。
 ドリスはここにいる。私もここにいる。そう、今、この瞬間、ここに。ここにこうして、存在している。
 生きている。
 その証拠に、ドリスの頬に触れた手が、あたたかいということ。
 これはドリスの体温。そして、私の体温。二つの体温が、溶け合っている。
 これが、触れるということ。
 目を細めたカデシュの手が、ドリスのなめらかな頬を滑った。ブルーブラックの髪に、指を絡める。
 幾度も、触れたいと思ってきた髪。肌。……ぬくもり。
 まっすぐに見つめていたドリスの瞳が、やさしく微笑んだ。今まで見た中で、一番やさしい微笑みだった。この世で一番あたたかいと信じられる微笑みだった。
 その微笑みの前に、決心はもろくも崩れ去った。
 触れてはならないと、抱きしめてはならないと、強く強く固めていたはずの決心は、世界一の微笑みの前に、儚くも敗れ去ったのだった。

 唐突に、力一杯抱きしめられて、ドリスは息が詰まるかと思った。思わず目を見開いた。
 驚いた。あまりに突然すぎたから。
 カデシュの腕が、予想を遙かに上回る力で抱きしめてきたから。
 そして、その力が、今までそうしたくてたまらなかったのだと語っていたから。
 体が震えた。
 それは、歓喜と思慕による震え。どうしようもなく抑えられない、衝動のようなもの。
 どこにこんな力が、と思うほどに、強く強く抱きしめられて、切なくて、ドリスはカデシュの肩に頬を寄せた。
 喉がわなないた。カデシュ、と、そう名前を呼びたいのに、喉がわなないて、うまく言葉にならない。
 二人とも、何も言わなかった。呟きもしなかった。
 ただ、黙って抱き合うだけ。
 壊れそうなほどに抱きしめていたカデシュの腕から、その強い力がほぐれて、次第にそれは慈しむような包み込むような抱擁に変わった。
 その腕に、ドリスは自分への愛情の深さを感じた。
 彼がどれほど自分を想っていたのか。どれほど触れたかったのか。自分を殺して生きてきたのか。
 その、哀しいほどの愛情を、痛いくらいに感じた。

 彼は、愛を知らないんじゃない。
 カデシュの手が髪をすいていくのを感じながら、ドリスは思った。
 きっと、誰よりも、下手すると坊ちゃんよりも、愛を知っている。本当の、真実の愛を知っている。あまりにも分かりにくいから、見逃してしまうだけ。気付かなかっただけで、彼は、遠回しに言っていたんだ。
 壊れそうなほどに愛しているんだと。
 きっと、彼自身、気付いていないのだろうけれど。

「あ、流れ星!」
 突然、ドリスが空に向かって手を上げ、星空を指さした。
 高く積まれた積み荷の陰に隠れるように座り込んで、肩を寄せ合って、ただ寄り添っていた。カデシュのマントに二人で入って。夜の海の刺すような冷たい風を、互いの体温で温め合った。
 ドリスにそう言われて、カデシュは初めて、満天の星空が広がっていることを知った。
 風が渡る。雲が流れ、どこまでも高い空に月が傾く。月の光が、二人の影をデッキに落とす。緩やかな空気の流れが、穏やかな時間を運んでくれた。
 二人はしばらく、空を見ていた。
 言葉はなかった。
 ……必要なかった。
 ただ、すぐ側にある命のあたたかさを感じていた。
「…………ね」
「…………うん?」
 カデシュはゆっくりと首を向けて、ドリスを見た。
 ドリスのマリンブルーの瞳は、月光の中でキラキラと煌めいて、まるで宝石のようだった。
 カデシュの目には、それが遙かな故国の宝石、ストロスの宝玉のようにさえ思えた。
 遙かなる故郷で、二度と手の届かない幼い日。
 手が届かないあの頃のぬくもりを思い出させるから、自分はドリスに惹かれたのかもしれない。ドリスの目を見て、ふとそんな風に思った。
「ねえ、カデシュ」
 もう一度、ドリスは呟いた。
 夜空を見上げて、両手を空に掲げて、空全体を抱きしめるようにして、そのまま自分の肩を抱いた。
「世界は、すごいね。この星は、すごいね。あんなにもたくさん星があるのに。この星は、すごいよね。こんなにも、きれい。こんなにも、優しい。すごいよね。でも、すごく、怖い。そういうトコもある。今、あたしたちが生きて、悩んで、苦しんで、ちょぴっと泣いて、いっぱい笑って、時々怒って、でもそんなのおかまいなしに、この星も生きてる。すごいよね。言いたいキモチ、伝えたいコトバ、全部全部出さないと、伝わらない、きっと……」
 ドリスの言葉は、「すとん」とカデシュの胸に落ちてきた。心の深いところに落ちてきて、そして、じんわりと染みこむように広がっていった。
 簡単で、稚拙で、文法も理論も、何もないような言葉なのに。一番大切なことを教えられた気がした。
 世界の真実を、囁かれた気がした。
「思ってるだけじゃ、ダメなんだよね。ホントにそうしたいって思うなら、しなきゃダメなんだよね。始めなきゃ、何も始まらないんだよね」
 変えようとすれば、必ず変わっていく。
 良い意味でも、悪い意味でも、それは同じ。
「だから、あたし、言うね」
「……何を?」
 お互いを見ないまま、言った。ドリスは口を開けて、視線を泳がせて、それからまた口を閉じた。ぎこちなく自嘲するような笑みを浮かべる。
「…………やっぱ、まだ、だめだ……」
 ドリスがうつむいた。カデシュがふと、ドリスを見る。
 カンテラの小さな灯りに照らされた彼女は、何だか拗ねた子供のような顔をしていた。この灯りでは、ドリスの頬が赤いのが、カンテラの灯りのせいなのかどうか、その真相が分からない。
 うつむいたドリスを見て、カデシュは小さく息を吐き出した。そして、唇を開く。
「月明かりを浴びて……影が踊るとき……、これから起こることを考えてみるとき……」
 それは呟きと言うよりも、詩か何かを朗読しているような感じ。
   君はひとつ息をついて
   ため息と ささやき
   静寂の中に浮かぶのは 小さな微笑みだけ
   月明かりの中で 君の言葉は皆 どうってことないものばかり
   簡単に払い落としてしまえるものだけど
   その光に導かれていたいと思うから
   溺れていたいと 思うから
「……カデシュ……?」
 ぽつりと呟くドリスは、カデシュの目が、どこか遠いところを見ているのに気付いた。
 ドリスには見えないものを見ているのだと、気付いた。
   不思議に思っていても 星たちは秘密を守ってくれる
   道を間違えないように どうか導いて
   朝になって 月も消えてしまったら
   そしてもし お互いの腕が二人の居場所なら
   ぬくもりに包まれていられるのなら
   互いに夢見た全てが きっと手に入る
   身も心も甘く溺れて
   月明かりの中で……
「私の故郷で歌われていた歌だ」
 ぽつんと落とした言葉に、ドリスの胸が騒いだ。
「母上が、よく歌っていた」
「お母さん……?」
 カデシュの脳裏に、幼い日の母の微笑みが浮かんだ。

 『この歌はね、カディ、とても素敵な歌なのよ』
 『どのような意味があるのですか?』

 聞き返す幼いカデシュに、母は柔らかく微笑み、

 『あなたも大人になって、愛する人ができたなら……、きっと分かるわ』

 あの頃のカデシュには、歌の意味が分からなかったけれど。
 今なら、分かる。
 母がどんな想いを込めて、この歌を歌っていたのか。彼女の歌う先に、自分と父王がいたことも。
「優しい歌だね」
 ドリスが微笑んだ。
「ホントに、愛されてたんだね。ううん、たぶん、きっと、今も」
 二人で星の遠くを見上げて。命の息吹を感じる。風を感じて。何よりも、今、寄り添っているぬくもりが愛しくて。そのぬくもりは、カデシュの心に波紋のようにあたたかく広がっていく。
 冷たく冷え切っていた心が、優しく癒されていくような感覚。
 ふと、カデシュはドリスの肩を抱いた。確かなぬくもりが、よりいっそう強く、伝わってきた。
 顔を上げたドリスの、ビックリしたような、けれど穏やかな微笑み。再び想いがあふれそうになった。
 それを誤魔化すように、カデシュは言った。
「さっきは、何を言いかけた?」
「……秘密」
「言葉にしなければ伝わらない。そう言ったのはお前ではないのか?」
 するとドリスは、唇をちょこっと尖らせて、
「城に戻ったら、言う」
「今は駄目なのか」
「だめ」
「なぜだ?」
「なんでも」
「どうしてもか?」
「どうしても」
 ムキになったように、彼女は言った。そして、やり返した。
「あんたこそ、何で突然歌なんて歌いだしたわけ?」
 不意打ちだった。
「…………さあな」
「何よ、それじゃおあいこじゃない」
「……では私も、城に戻ったら教えてやる」
「ホントに?」
「ああ」
「絶対?」
「ああ」
 ドリスはそれを聞いて、心からの微笑みを見せた。
「約束ね?」
 すぐ側で、惜しげもなく放たれる笑顔。
「ああ」
 何の迷いもなく、彼はうなずいた。
「城に戻ったら。全て、教えてやる」
「うん」
 微笑んで、ドリスはカデシュを見つめた。
「あたしも、全部、言うから。だから……」
 一緒に、帰ろうね。
 その言葉を呑み込んだ。
 ……呑み込まざるをえなかった。

「…………誰も、見てなかったでしょうね?」
「……さあな」
 思わずカッと体中の体温が上がる。
 ドリスは、まだハッキリと感触の残る唇を噛みしめて、悔しそうにカデシュを睨んだ。
「言葉にしなければ伝わらない。お前はそう言ったが」
 目を合わせないまま、彼は言った。
「言葉以外にも、伝える方法はたくさんある」
 かあっと顔が赤くなるのを感じたドリスが、思わず声を荒くする。
「時と場合を……!」
「選んだつもりだが?」
 やり返されて、言葉に詰まる。自分から求めはしたが、逆に積極的になられると、困惑が大きい。
「安心しろ。抱くのは……城へ戻ってからだ」
 また、ドリスの体温が急上昇した。
 そういうことを、サラッと言わないでもらいたかった。もっと遠回しに、オブラートに包んだ言い方をしてほしかった。
 真っ赤になって固まったドリスを見て、カデシュは苦笑するように顔を歪めた。
「そういう顔も悪くない」
 照れと恥ずかしさと悔しさと、そういうものがごっちゃになったような感情がドリスの中で渦巻いているのが分かった。
「ドリス」
「何よッ」
「……私たちは、こんなにもちっぽけだ。だが、確かにここに、こうして存在している。それは真実なのだな」
「……そうよ」
 当たり前なのが嬉しい。カデシュがそう感じていると、ドリスにも分かる。
 でも、分かったのが悔しくて、気付かないフリをした。そして拗ねたように、わざとくん、と鼻を鳴らす。
「眠くなってきちゃった」
「……このまま寝るのか?」
「……さあ。でも、もうちょっと、いいでしょ?」
「ああ、問題ない……」
 優しく肩を抱かれて、もう少しだけ、寄り添っていたい。
 少なくとも、今夜はこれ以上、ドリスの涙を見ないで済みそうだ。
 そう思うだけでも、カデシュは救われた気分だった。
 彼女のぬくもりに触れていられることが、何よりも幸せだった。
 きっと、幼い日にあの歌を教えてくれた彼の母も、今こうして幸せを肌で感じている息子を、微笑んで見ていてくれるのだろう。
 カデシュは星の息吹の中に、そしてドリスの吐息の中に、母の微笑みを垣間見たような気がした。


甘さ割増第2弾でした。作中でカデシュが口ずさんでいる元ネタは、STINGの名曲です。
どうしてもカデシュにも「一緒に帰ろう」を言わせたかったのです。

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