Kirsikka*  ここは「水城りん」が自分の好きな作品への愛をダダ漏らせている個人サイトです。
 各作品の関係者各位とは全く関係ありません。

Novel
彩雲国物語 > 愛玩

「僕はお前の玩具じゃない」
 酒を飲みながら、碧珀明はポツリと呟く。
 呟かれた相手、藍龍蓮は一瞬きょとんとしたような間を置いた後で、くいと銚子を傾けた。
「酔ったのか?」
「違う」
 先程よりやや鋭く言い切って、
「心の友、なんていう鎖で、いや、僕が影月や秀麗を裏切らないということを利用して、僕を繋ぎ止めて、お前は僕で遊んでいる。そうじゃないのか」
「…………何だ急に」
 ちらと目をやると、珀明は俯いて、床のつまみを睨んでいた。その目尻が、僅かに紅い。
 酔っているな。龍蓮は微妙なため息をつく。
 珀明は酔うと、相手によっては激しくしつこく絡む癖があるらしい。しかし相手を分別する部分は残っているらしく、特定の相手にしかそれを見せない。
 要するに、彼が絡んでくるということは、それはそのままその相手に気を許している、相手を認めているという証拠にもなるのだ。だからかえって質が悪い。絡まれたことで、彼を嫌えない。絡んでくるのは、好意を持っているという裏返しだと、龍蓮は知っているから。もちろん、龍蓮がそんなことで珀明を嫌うわけはないのだが。
「僕を玩ぶのは楽しいか? だよな、楽しいから僕をからかっておちょくって遊ぶんだよな。お前って本当に性格悪いよな」
 ぐいぐいと銚子を傾けながら、珀明は言う。
 ずいぶんと仕事の鬱憤が溜まっているようだ、と龍蓮は心の中で苦笑する。
 夜中にこうして碧家の屋敷に押し掛けて、庭を臨みながら酒を飲むのももう何回目になることか。
 普段は酔ったとしても、ぼんやり目元を紅く染めるくらいで、酒乱に乱れ込むほどのことは滅多にない。一度飲み過ぎてフラフラになり、立てなくなった彼を寝台に運び、そのまま朝まで添い寝した時など大変面白かった。
 龍蓮はふとそれを思い出して、吹き出しそうになるのを懸命にこらえる。
 二日酔いでガンガンする頭を抱え、ぼんやり目を開けた珀明は、そこが龍蓮の腕の中だったことに吃驚仰天し、混乱のあまり飛び上がり、勢いあまって寝台から転げ落ちた。拍手を送りたくなるほど、見事に文字通り、コロリンと。
 酔いつぶれて男に添い寝されたあげく、無様に寝台から転げ落ちて頭を打ち、その結果目を回して伸びてしまった、という苦すぎる思い出は、おそらく珀明の人生でワースト5本指に入る出来事だろう。
 ここはあえて、逆手にとって絡み返してやろうか。
 龍蓮の中に、ちらとそんな悪戯心が降ってわいた。
 絡んで絡んで、かまってくださいと絡みついて。それをいなすことなんて自分には容易いことだけれど、ここであえて、絡み返してやったら。
 思っても見ない反撃を受けたら、こいつはどんな顔をするんだろう。
「そうだな」
 少し小馬鹿にしたように、龍蓮は言ってやる。
「お前をからかうのは至上の歓びと言えるほどに楽しいことだぞ」
「なんだと?」
 じろり、と珀明が睨む。
「お前は真面目すぎるほどに真面目だ。理詰めで融通の利かない、頭の固い奴だ。そんな奴を言い負かして、ぐうの音も出ない程に説き伏せるというのは、ある意味至上の快感なのだぞ」
「僕の頭が固いだと? 信憑性がないな。そんなこと、生まれてこの方言われたことがない」
「口に出していなかっただけかも知れないぞ?」
 珀明、どうやらご立腹のご様子。
 向かい合って座る龍蓮を睨み上げ、ふいに立ち上がると、龍蓮の方に回り込んで隣にどっかと腰を下ろした。拗ねた子供のように、下唇を突き出すような顔。
 思わず吹き出しそうになるのを、龍蓮は懸命にこらえる。
 これだから、珀明の「友」はやめられない。
 珀明はどっかりと腰を下ろしたまま、何やら黙り込んだ。
「――珀明?」
 横目で見つつ呼びかけると、
「もしかして――」
「うん?」
「あの人も、そう思っているのか?」
「――?」
 あの人?
「あの人に認められたいと、必死で頑張ってきたけど。――僕は、あの人に近づきたいと思う余り、何か、大事なことが見えなくなってしまっているのか? どこかで、間違ってしまっているのか?」
「…………何があった?」
「……叱られた」
 あの人に。ぽつん、と呟く声は、弱々しい。
 肩を落とし、シュンとうなだれるその様は、叱られてしょげる子供そのものだ。
 珀明の言う、「あの人」。
 憧れの人、だそうだ。おそらく、これまでの珀明の人生でもっとも尊敬でき、目標として最高だと認めることのできた人物。そして今では珀明自身の努力も相成って、彼の上司となっている人物。―― 吏部侍郎、李絳攸。
「仕事を完璧にこなしたくて、でもかえってそれが二度手間三度手間になってしまって。それで」
「叱られた、か」
 夜空にぽつんと浮かんだ月を見つつ、龍蓮は銚子を傾ける。
「だがそれは、お前に全面的に非があったのだろう」
「うん」
 小さな子供のように、こくん、とうなずく。
 それを横目で見て、龍蓮は心の中で「アラ素直……」と思わずこぼしてしまう。酒が入ると人格が変わり、やたらと面白い変化を見せてくれる者は大勢いるが、珀明もまた一定以上の酒が入ると、態度が変わる。
 だが今のように、子供のような素直さを見せるのは初めてだった。
「何だか……、自信がなくなった」
 庭を見つめ、肩を落として彼は呟く。
「僕に、あの人のようになれるのかどうか。今までは、絶対追いついてみせるって思っていたし、自信だってあった。でも……」
 エリートは打たれ弱いと言われるが、珀明もまた神童と呼ばれてきただけに、小さな衝撃には耐えられても、今までぶつかったことのない壁に立ちはだかられたときの対処法が分からず、途端に足をすくませてしまっているようだ。
 ずっと順風満帆で調子に乗っていた者が、その調子を乱されてたたらを踏んだ。今の珀明は、ちょうどそんな感じだ。
「私は、あの男に憧れたりしない」
 今度は龍蓮が、ぽつりと言った。
「良い人物だとは思うが、憧れの対象にはならない」
「何が、言いたい」
「あの男も、人として完全ではない」
 そんなことは、分かってる。珀明は呻るように呟く。
「お前も同じだ。人として完全ではない。当たり前のことだ」
 完全な人間なんて、この世に存在しない。
 完全でないなら、多少の失敗など誰にでもあること。
 問題は、より完全に近づきたいと努力できるか否かということ。失敗にめげることなく、失敗をバネに跳ね上がることができるかということ。
 失敗したのが問題なのではない。失敗は負けではない。
 失敗は、そこから学び、更に飛躍するチャンスが訪れたということ。
 落ち込み悲しむのではなく、これを機会に自分の間違っていた部分を軌道修正しろ、と。
 龍蓮が言いたいのはそういうこと。珀明の酔った頭でも、そのくらいは理解できる。
「憧れるのは自由だが、あの男と同じになる必要などない。あの男はあの男、お前はお前だ」
「……分かってる」
「分かっているなら、そんな顔をすることはない。自信をなくす必要もないだろう」
「絳攸様を……」
 うん? と珀明の方を見ると、彼は庭を睨んで、
「あの人を、『あの男』なんて無粋な呼び方をするな」
 仮にも、僕が今まで生きてきた中でもっとも尊敬できる人なんだ。
 珀明の横顔が、キッとそれを訴えている。龍蓮は苦笑した。
「それは悪かった」
 苦笑して、それでも彼は言う。
「私はあの男に対しては、特に何も感じないが」
 注意してなお『あの男』と呼び続ける龍蓮に、珀明はようやくじろりと目を向ける。
 龍蓮は微笑を浮かべていた。
「お前には、特別だと感じているぞ」
 珀明が、瞬間、ぱちくりと瞬きをした。
 何を言われたのか理解するのに、脳が時間を要したらしい。
「と……っ!?」
 いきなりのけぞって後ろに手を付くと、
「いきなり何言い出してるんだこの馬鹿!」
「いわゆる告白というやつだ」
「ばっ……! 馬鹿かお前! 男同士で何がコクハクだっ!」
「男同士ではいけないのか?」
「にじり寄るなっ!!!」
 真っ赤になって、腕を楯にして後ずさる。
―― どうやら元気になったらしい。
 クスリと微笑して、龍蓮は満足そうに、小動物のようにこちらを警戒して毛を逆立てている珀明を見た。
「珀明」
 ふと顔を上げると、龍蓮が悪戯っぽい微笑を浮かべている。
「添い寝してやろうか?」
 カッと瞬間的に赤面して、
「いらん!!」
 屈辱なのか、羞恥なのか。はたまた照れ隠しなのか。珀明の耳が、先まで赤い。
 思わず龍蓮が吹き出す。
 本当に、これだから、珀明の「友」はやめられない。


無自覚に龍蓮に信頼を置く珀明と、興味→愛情へ変換完了しちゃってる龍蓮。
龍×珀であっても珀明はひたすら絳攸に矢印向けてるイメージです。報われない珀明が好き(笑)

[ 戻る ]

Copyright since 2005 Some Rights Reserved. All trademarks and some copyrights on this page are owned by Mizuki Rin.