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彩雲国物語 > Amor ti vieta

 もう、本当にやめてくれ。
 何度思ったかしれない言葉を、もう一度心の中で吐き出す。
 居心地の悪い温もりに硬直した体は、今すぐにでも立ち上がって退室したいのに、ぴくりとも動いてはくれない。
 ああ、なんて矛盾しているんだ。
(だからやめろと言ったんだ……)
 ため息がちに、硬直しきった体を何とかほぐそうと、そのきっかけにと首をもたげる。
 視線の先には、金茶に近い薄栗色の柔らかそうな髪。
「……ん……」
 視線に気付いたように、微かに身じろぎをする。
 しかしそのまま目を開けることはなく、静かな寝息は保たれたままだ。
(酔ったら抱きついてくる癖、勘弁してくださいよ本当に……)
 背後から俺を抱きしめているのは、主上の妹姫、明輝様。通称「ひめさま」。
 自由奔放な気質のせいか、普段から俺とはよく衝突している。どちらかと言えば楸瑛との方が、見ていて仲が良さそうだ。
 もっとも、楸瑛とと言うより、奴の弟の龍蓮との方が仲がよいらしいのだが。
 そんなひめさまは、本日の工部での酒盛りになぜか意欲的に参加し、工部尚書と大いに仲良く盛り上がったあげく、止めに入った俺など見向きもせずに名酒の大瓶を一人で飲み干し、結果こうして酔いつぶれてしまわれたわけだ。
 その酒豪ぶりに、工部尚書のみならず、居合わせた並み居る酒の強者官吏たちが、このひめさまを大いに気に入ってしまったのは、未だに聞こえるどんちゃん騒ぎの音で分かる。
 彼らは今頃、ひめさまを連れて出たまま戻ってこない俺のことを、あらぬ誤解をして楽しんでいるに決まっているのだ。
 呂律が怪しくなった辺りから、側で五月蠅いほど静止の声を上げていた俺に、やたらと絡んでいたひめさまは。大瓶を飲み干してやんやの拍手をもらい、得意満面の顔で俺に抱きつき、そしてそのままパタリと寝入ったのだ。

(確かに、理屈は分かるんだ)
 ひめさまは幼い頃に紫州を離れ、霄太師の庇護を受けて育てられたとは言え、それでも孤独だったことに変わりはなかった。
 だからこうして眠るときなどは、必ず何かにしがみつく癖があるらしい。
 普段は、大きな特製抱き枕か、室に所狭しと置かれているぬいぐるみ類を抱いているようだが。
 余談だがそのぬいぐるみというのもまた、ひめさまを猫かわいがりにしている主上や霄太師を筆頭に、あらゆる官吏たちが「贈り物」と称して与えるものだから、それはもう大変な量になっているのだとか。
 中でも、藍龍蓮が旅先から送ってきたという馬鹿でかい一品。あれは一体何の動物を模したものなんだ……? 俺の理解の範疇を超えている。
 話を戻して、まあ詰まるところ、そういったぬいぐるみなんかを抱くことで、安心するということなのだろうな。
 でも、俺は抱き枕でも、ぬいぐるみでもない。
 れっきとした生きた人間で、まあこう言っては何だが、若い男だ。少しは危機感とか、持って欲しいもんなんだが……。

(と言うかそれよりもまず、ここはどこなんだ……?)
 認めたくはないが、ここは絶対に、目的地だったひめさまの室ではない。
 小さな蝋燭の灯りが一つ二つ灯っているだけの、どことも知れない部屋だ。
 入った途端に何かにつまずいて、そのまま横倒しに倒れ込んだ俺。もちろん、俺にされるがままに運ばれていたひめさまも、板敷きの上に倒れて。
 起き上がる隙を与えずに、こうして後ろから抱きしめられてしまったわけだ。
 薄暗い灯りしかない深夜に、こうして宮城を練り歩くのがどれだけ自殺行為か。
 本当に認めたくはないのだが、自分の方向感覚のなさを本気で恨めしく思った。

「ん……ふ……」
 酔ったひめさまの吐く、息。
 俺のうなじの辺りに、湿った熱い吐息と、微かに触れるひめさまの、唇。
 それがまた、凶暴なくらいに柔らかくて。
 ひめさまの掠れた声が、直接俺の耳の中に入ってくる。俺の腹に、ひめさまの腕が回っている。こんなか細い腕で、よくもまあ武官共と渡り合えるもんだと思うような、ひめさまの腕が。
 って、うわ、ちょっ……、足、足絡めんでくださいよ足……っ!
 それ以上くっついたら、あんた、背中にその……む、胸……っ。
「……ん……」
 その、声、とか。
 ……反則ですから。
 いつもはやんちゃな虎の子みたいで、走り回って暴れ回って、俺との怒鳴り合いなんてしょっちゅう。主上や霄太師に甘える時だって悪戯っ子そのもので、無敵の姫君、なんて陰で噂されてて。
 なのにその声、何なんですか。
 いかにも、普段の声はわざと作ってますよ、みたいな、柔らかくって安心しきった、気持ち良さそうな声。
 そんな声耳元で聞かされたら、いくら俺だって、もう。
(……まずいな……)
 ひめさまの体温とか、ひめさまの吐息とか。
 そんなものをビシビシ全身に感じさせられて、身体的に正常でいろというのは、男としてかなり無理難題。
(……………)
 ひめさま。
 ひめさま、お願いですから起きてください。このままだと、俺、状況に流されて後戻りのできないことをしてしまいそうです。って言うか、既に理性との葛藤とあまりの緊張で、吐きそうです。

 困り果てて視線を上げると、窓の隙間から見える薄い月が見えた。
 月明かりも、この濃い紺色の闇に包まれた室内には届かない。あるのは、小さな、今にも消えそうにくすぶっている蝋燭の灯りだけ。
 夜の室内に、二人きりでいる。そのことに改めて気付かされて、俺は体を更に固くした。
 楸瑛だったら、「据え膳喰わぬは何とやら」とか何とか言い出すんだろう。
 俺を抱いているひめさまの腕があんまりにも温かくて、密着しているひめさまの体があんまりにも柔らかくて、脳味噌が沸騰しそうだった。
 ひめさま、頼むから、起きてくださいよ。
 でも無理に起こそうものなら、途端に機嫌の悪くなったひめさまにボコられるのも必然。主上の執務室でうたた寝をしていたひめさまを起こして、さんざん噛み付かれた記憶がまだ新しいのだから、正直、勘弁。
「……………」
 声にもならない、ひめさまの柔らかい寝息。
 あの、ひめさま、これって何の拷問なんですか。
 そんなことを考えながら、俺はガチガチに緊張した体をほぐそうと必死になった。このままでは、明日一日筋肉痛は免れそうにない。
 酔った人間って、こんなに熱くなるものなんですね。あんたの腕が回ってる俺の腹や、あんたがべったりくっついてる背中とか。異様に熱いですよ。

 その、あまりにも柔らかい寝息とか、もう、やめませんか。
 俺の頭がおかしくなりそうなんで。……ほんと、息が詰まりそうなんで。
 ……もう、これ以上、あんたのことが好きだって、俺に自覚させるの、やめませんか。
「……ん……、ぅ……」
 もしかしたらあんたの喘ぎ声ってこんな風かも、とか、想像する余地を作らせるのなんて特に、本当に、勘弁して下さい。
 ハッキリ言って、あんたは何にも分かっちゃいないんですよ。素で天然でしょう。
 どれだけの官吏があんたを見つめてて、どれだけの官吏が、いや、官吏に留まらず、どれだけの男があんたの気を引こうと必死になってるのか、あんたはちっとも知らないんでしょうね。
 それはあんたが「姫君」だからって理由に留まらない。
 あんたのその、掟破りで型破りで、破天荒な性格。暴れ馬みたいなくせに、それが全然嫌味じゃなくて、むしろそんな風だから尚更に、あんたが可愛く見えて仕方ない。
 そういう連中、星の数ほどいるんですよ。
 あんたは、微塵もそんなこと、知らないんでしょうね。
 今だって、これが俺じゃなかったら。おかしな気を起こして、あんたが眠ってるのをいいことに……。
(……それこそ、勘弁だ……)
 自分で想像して、嫌になった。

 あんたはどんな声で鳴くんだろう。あんたの中はどれだけ熱いんだろう。
 男が、恋する女に抱かないはずのない、想い。

 ひめさまの体は熱い。酒気を帯びて、その熱はなお。
 いや、ひょっとして。
 熱いのは、俺の方? 俺の熱と、ひめさまの熱が溶け合っているから、そう感じるだけなのか。
 今、寝返りを打ってひめさまと向き合って、そのままひめさまをこの手に抱き寄せれば。
 この熱はもっともっと、溶け合うのだろうか。
 一つに、溶け合ってしまえるのだろうか。
「……ははっ」
 乾いた、自嘲するような笑みが思わずこぼれた。
 頭がおかしくなりそうだ。いつもの俺じゃない。
 俺は朝廷一の才人、李絳攸。鉄壁の理性を誇っているんじゃなかったのか。
 第一ひめさまが、この俺に抱かれてもいいなんて、そんな風に思うわけがないじゃないか。普段喧嘩ばかりで、ひめさまからすれば「規則規則」と口うるさい、煙たい存在だろうはずの、この俺に。
 でも、たとえあんたはそうでも……。
 半笑いになりながら、ほとんどやけっぱちな気持ちで、俺はそんなことを思って。
「……好き、なんです、俺……、あなたのことが、たぶん、自分でも、驚くほどに……」
 途切れ途切れに、思いつくままに唇からこぼれ落ちた言葉。
「……知ってる……」
「―――っ!?」
 ぽつりと、唐突に背中から聞こえたひめさまの、静かな、眠そうな声に。
 俺は軽く十秒程、呼吸を止めた。
 腹に回された腕に、さっきより強く、ぎゅうと力が込められた。
「――い、いいんですか……」
 知りませんよ、どうなったって。
 もう完全にやけっぱちになって。
 俺は寝返りを打って、ひめさまに向き直った。

 酒のせいだったと、明日には笑ってくださっても結構です、ひめさま。


自覚もなく絳攸を振り回すひめさま。裏へ置こうかずっと迷っていますが、とりあえず寸止めなのでこちらに。

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