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Novel
彩雲国物語 > All That's MOE!!!

 ひめさまがこの国へ戻って来て2週間。浮かれた阿呆共が意味もなく後宮の周りをうろつき、そのことで主上の機嫌も当初の15度から60度あたりにまでマガッてきた頃。
 くしくも季節は初夏の陽気、麗らかな時期から夏の暑さに移りかけようかというときだった。
 悲しいかな我が吏部は、そんな陽気や浮かれ気分もどこ吹く風、氷の尚書殿のいつものオタワムレが祟っての壮絶な修羅場を迎えていた。
「まだ……まだ終わらんのか……」
 思わず出るのは絞り出すような声とため息ばかり。
「そう言えば腹減りましたねー……。厨房行って、何か作ってもらいましょうか」
 一緒に残業していた部下が言う。だが俺は諦めていた。
「もう深夜だ、料理人もいない時間だぞ」
「あっ……」
 部下は情けない顔で腹をさすり、諦めきれないようなため息をついた。
「……ですよねー……あーあ」
 言った途端に、奴の腹が盛大に空腹を訴える。
 こちらもつられて腹が鳴りそうになって、ぐったりしてため息混じりに呟いた。
「仕方がない、今日は……」
 言いかけたときだった。

「あのー、こんばんは」
 吏部の入り口あたりから、やや遠慮がちにかけられた声。
 部下は俺と顔を見合わせると、だるい体を引きずるようにして歩いていった。
 こんな時間に、一体誰だ?
 そう思っていると、何やらがたんどたんと騒々しい物音。そして、慌てたような部下の声。一体何事かと思っていると。
「あ、やっぱりまだいたんだ」
 ひょいと顔を覗かせたのは、主上の妹姫、明輝姫。薄栗色の髪の下で、大きな瞳がぱちぱち瞬きしている。
 彼女の側で、部下が興奮したような青ざめたような、どうにも形容しがたいような顔をしている。膝を押さえているところを見ると、どうやら先程の激しい物音は、ひめさまの顔を見てびっくり仰天して柱にでもぶつけたようだ。礼の体勢ですら、満足に取れないでいる。
「どうしたんですか、こんな夜中に」
「風に当たろうと思って歩いてたら、灯りが見えたから。こんな時間まで仕事なの?」
「ちょっと修羅場中で」
 思わず視線が泳いでしまうのは、俺の責任ではないとも。
 ひめさまは「そう」と少し表情を曇らせた。
「大変なのね。残ってるの、二人だけ?」
「ええ、他の者は仮眠室でぶっ倒れてます」
「ほ、本当に大変ね……」
 やや顔を引きつらせて、彼女は唇を真一文字に引き結んだ。
 側で部下が何やら身悶えているが、とりあえず無視しておく。
「もう遅いです。早く室にお戻りに」
 そう言う俺に、「うん」とうなずくものの、彼女は唇を突き出して、出ていくのをためらっているような仕草をする。
 またしても視界の隅で、部下が怪しげな動きをした。……何をしてるんだこいつは。
「あのね、実はね」
 言って、ひめさまは吏部入り口の辺りに引き返して、何かを持って戻ってきた。
 布をかぶせた皿らしきもの。
「灯りが見えたから、もしかしてまだ残業してるんじゃないかと思って、それでその……、……差し入れ」
「え」
 ずいっと差し出された皿を受け取り、布を取ると、形のいびつな握り飯が4つ。
「お腹空いてるかなーと思って。は、初めて作ったにしては、上手にできたと思うよ!」
 味の保証は、できないけど……。硬い表情で、そんなことを呟いて。
「はあ……、どうも……」
 何と言っていいか分からずに、どんな顔をしていいか分からずに、俺はとりあえずそんなことを呟いた。
 ふと気づくと、視界の片隅で、部下が珍妙な顔をして身悶えしている。さっきから一体何なんだこいつは。
「……おい、大丈夫か」
 頭は、という言葉は一応省いて聞いてみた。すると奴はシャキンと体勢を正し、
「はっ! いえ、小生にはお構いなく! どうぞ、お話をお続け下さいッ!」
 あんまり大丈夫そうではない気がするが、お構いなくと言われた手前、放置しておくことにする。
 視線を戻すと、ひめさまは皿の上の握り飯と俺の顔とを目で行ったり来たりさせている。……食え、ということだろうか。
 握り飯を一つ掴み、口へ運ぶ俺を、彼女はじいっと上目遣いに逐一観察している。
 ……何だか嫌な予感がするのだが。
 食わないと、食うよりもオソロシイ結果が待っていそうな予感がして、思い切って一口かじった。
「…………どう?」
 返事を待ちきれないといった感じで、ひめさまが尋ねる。
「……塩辛いところとそうでないところが交互に襲ってくる感じ……ですかね……」
 要するに、塩の固まりが固まりのまま混入されている感じなのだ。
 ひめさまは「うっ」と言葉に詰まったような顔をして、
「簡単そうに見えて、む、難しいのね、おにぎりって」
「……ちょうど腹減ってたんで、ありがたいです」
 すると、彼女は途端にパッと表情を明るくして、「ほんと?」と息巻いた。
「困ってたんですよ、この時間だと厨房も閉まっているし。そろそろ切り上げようかと思っていたところで。……おかげで、今日中に何とかなりそうです」
 見る見るうちに、彼女は笑顔になる。感情の分かりやすい人だ。
「でも、やりすぎは駄目だよ? 適度なところで区切って、ちゃんと休んでね」
「はい」
 明るい笑顔を見て、つられるように笑みを返す。
 ひめさまはふと振り返って、まだ身悶え状態の部下に言った。
「あなたも、良かったら食べて。腹が減っては戦はできぬ、でしょ」
「は、は、は、はい! あ、あ、ありがたき幸せっっ!!」
 散々どもって返事をすると、部下はボキッと腰から折れたんじゃないかと思うようなお辞儀をした。


 ひめさまお手製の握り飯を頬張る俺に、部下が茶を入れて持ってきた。奴は「あへ〜」とでも表現できそうな声を吐き出して、
「あああ〜、ひめさま〜萌え〜」
「……モエ?」
 奴は崩れ落ちるように座ると、
「李侍郎〜、見ました〜? 生ひめさまですお!生ひめさま!」
「な、生……?」
 陶酔しきったような顔で、奴は鼻息も荒く宙に両手を伸ばす。両手はぶるぶる震えている。
「ひめさまの唇……、あのぷるんとした唇……、柔らかそうだったなあ〜」
「…………」
「あああっ、何だか、この男臭い室内にまでひめさまの匂いが……っ!残り香が……っ!」
 そう言って奴は鼻の穴をめいっぱい肥大させ、スハースハーと深呼吸する。
「衣の裾からちらっと見えた足首が……何とも言えずに艶めかしく……。じ、自分、何を隠そう足首萌えなのです! ひめさま、ちっちゃくて、柔らかそうで……ほ、ほっぺとかふにふにしてそうだし……ハアハア」
「…………………」
「あああ萌えええ〜」
「……疲れてるんなら帰っていいぞ」
 主上の気苦労の理由がようやく今理解できた気がする。
 俺が2つ目の握り飯を掴んだときだった。
 奴は「ハアッ!!」と突然叫び、俺は仰天して思わず文字通り飛び上がりそうになった。
「そそそそそそそ、それはああ……!!」
「な、な、何だ、今度はどうした」
「ひひひひひ、ひめさまお手製の、おおおおおおにぎりっ!?」
「え、あ、ああ、まあ」
 「あああああああああ」と奴はひたすら大騒ぎしながら這うようにして卓に辿り着くと、握り飯の乗った皿を真剣に見つめ、
「ひ、ひ、ひ、ひめさまのあの柔らかそうな手で握ったおにぎり……ハアハア……」
「…………」
「ち、力加減とか、……ハアハア……ひめさまの白い手が……ハアハア……!」
「……いい医者紹介してやろうか?」
 この阿呆は何を想像しているのやら。腹が立つやら情けないやら呆れるやらで、言葉も出ない。
 ぱくり、と握り飯にかじりつく俺を見て、奴は「ああああ!」とまたしても奇声を上げた。
「そんな! 冒涜ですよ李侍郎ー!!!」
「何がだ!」
「このおにぎりは! ひめさまが! ひめさまの白いお手が! 作り出された芸術なのですよ!! この世に有るべくして生まれた芸術品なのですよー!!」
「このいびつな握り飯がか!?」
 しかもやたら塩辛い!
「それをさも当然のようにがっつくだなんて!! そんなハレンチなー!!!」
「何がハレンチだー!!!」
 叫び返した俺に、奴は無礼にもビシッと指を突きつけて、肩で息をしながら息巻いた。
「李侍郎は分かっておられないッ!! いいですか!? このおにぎり、ひめさまは一体何のためにお作りになられたのか、それを李侍郎は理解しておられるのですか!?」
「え、だから……差し入れ?」
 勢いに圧されて、思わずビクつく自分が情けない。
 すると奴は「ちっがーう!!」と叫んだ。
「これは! 差し入れと称したお誘いですっ! 分かりますか! お、さ、そ、い!!」
「お、お誘い……?」
「このおにぎりに込められた意味です! それはつまり!!」
「つ、つまり?」
「私をた、べ、て……! に、決まってるじゃないですか!! ギャー萌えーっ!!!」
「…………」
「それを何の躊躇もなくがっつくだなんて!! 李侍郎のド助平!! 早撃ち大王ー!!」
 ……アホか……。
 心底アホらしくなった俺は、無視することに決めて握り飯を頬張った。
 2個目の握り飯は、1個目よりは塩味がきつくなかった。


 その翌日から、一体どういう噂が広まったのか、残業を自分から進んでかって出る輩が続出した。
 そしてそういった輩はきまって口々に、「モエ」だの「ハアハア」だの俺には理解不能な難解語を口走っているのだ。
 浮つきまくった宮中に、ご機嫌がナナメどころかそろそろ垂直になろうとしている我らが主上に、俺は一言ご注進申し上げる。
「主上、俺……命を懸けてひめさまをお守りしますよ……」
「何?」
 少し驚いたように、主上が俺を見る。
「どうした、明輝とは仲が悪いのではなかったのか絳攸」
「はあ、まあ、イロイロありまして」
「イロイロって何だ」
 垂直になりかけたご機嫌に更に追い打ちをかけないように気を付けながら、俺は言葉を選ぶ。
「ここまでギラギラした宮中では、まるで飢えた野獣の群に美味そうなエサが放り込まれたような状況ですからね。……部下として、義務を果たします」
「ふむ……、部下として、な」
 何やらチクチクとげを刺すようなものを感じるのだが、気づかないフリを決め込む。
「明輝が言っていたぞ」
 唐突に、主上が言った。
「あまりお前に仕事をさせすぎるな、とな。余に言われても困ると返答しておいたが」
「はあ」
「少しやつれたのも色っぽくていいが、お前は元気に自分を叱ってくれるのがいいのだそうだ」
「はあ……、……はあ?」
 主上が、ジロリと俺をニラむ。
「イロイロって、何があった」
「いえ……、差し入れを、貰っただけなのですが」
「お前ほど女心の分からぬ鈍感はいないのだそうだぞ、絳攸」
「え、いや、……え?」
 すると主上、何やらフッと笑みを漏らしあそばす。そしてガシッと俺の肩を抱き、
「明輝をたぶらかしたら、即左遷だからな」
「え、ちょ、何の話……」
「よく肝に銘じておくように」
 よく理解できないまま固まる俺を残して、主上はスタスタと去っていった。

 それからしばらくして、恐怖の大王が、あからさまに「モエ」だの「ハアハア」だのとぬかす連中を成敗して回っているという噂がまことしやかに流れるようになった。
 その「恐怖の大王」とやらだが、主上は取り締まるどころか笑顔で容認しているらしい。
 正体も、大体の想像はつくが。
 どうやら我々は、「ひめさま」という名のトンデモナイ核爆弾を手中にしてしまったようである。


絳攸の部下をヲタにしてしまってすみません(笑) 私が楽しかったです。

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