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Novel
彩雲国物語 > Peridot

 その宝石商は、つい先日ミンと食事に行った夜に出会った、あのクソ生意気なガキの父親だった。
 僕が注文していた、まくり上げた袖を止めておくための細工物を納品に来たと言った。
「先日は愚息が失礼いたしました」
 丁寧に頭を下げる彼を適当にあしらって、僕は早速品物を見せてもらった。
 さりげない金細工に、僕の家名でもある碧玉をあしらったもの。可能な限り軽く作らせたから、実際に腕に付けてみても全然邪魔にならない。うん、確かに良い品だ。
「職人にも、大変満足だったと伝えてくれ。礼金もはずませてもらう」
「は、ありがとうございます」
 お辞儀をする男の足元に、大きめの荷物が置かれているのに気付いた。何かと訊くと、これから遠方の得意先に赴くので、そこの令嬢にといくつか装飾品を集めて持ってきていたらしい。
「へえ、どんな物があるんだ? 見せてもらってかまわないか?」
 言うと、彼は目をパチパチさせてから荷物を広げ始めた。女物ばかりだから、男の僕が付けられるような物はなさそうなのに。そんな風に思っているんじゃないかと想像したが、僕だって故郷の母上に贈り物の一つもしてやりたいじゃないか。
 広げられた細工物は、どれも見事な物ばかりだった。おそらく、遠方の得意先というのはそれなりの家柄を持った者なんだろう。
 紅玉、碧玉、瑪瑙、瑠璃、黄水晶に琥珀に真珠。色とりどりの宝石類が僕の目の前にあった。首飾りや耳環、額飾りに髪飾り、指輪や腕輪。こういうもので色々着飾るんだから、女ってのも大変だ。
 僕が物色していると、男はちらちらと僕の様子をうかがっていた。しかも、何やら微笑みみたいなものを浮かべて。
 ……僕が女物を見ているのがそんなに変か?
「いえいえ、滅相もない。そうではなくて」
「ん?」
「いえ……。それより、何かお心にとまった物はございましたか?」
「んー、そうだな……」
 どこかはぐらかされた感が拭えなかったが、掘り下げたところでどうしようもないので、軽く聞き流すことにする。
「いざとなると何を贈っていいものか、よく分からないな」
 すると男はクスリと笑って、「それでしたら」と、首飾りを一つ手に取った。
「こちらなどいかがでしょう。首もとを華やかに見せるには、こちらの紅玉などは」
「うーん……」
 どうも似たようなのを、子供の頃母上が付けていたような気がするな。
「もっと、日常的に付けられる物で、邪魔にならないような物はないか?」
「そうですか、では……」
 少し宙をさまよった後、男の手がそれを取った。
 細かい細工の、揺れる形の耳環。所々にあしらわれているのは、僕の家名でもある碧色の宝石。
 髪をまとめ上げて付けると、きっと耳元から首元にかけてが華やかになり、それでいてさりげない、上品なものだった。
「やっぱりそれかな」
「おお、目を付けておられましたか。いやさすが」
「それは碧玉か? 碧玉にしては色が……」
「これは『かんらん石』でございますよ」
 かんらん石?
「異国からの買い付け品で、国内では滅多に手に入らない貴重な宝石です。異国では『ペリドット』と呼ばれているとか」
 見慣れた碧玉よりも、もっと淡くて、もっと透き通った、草原色をした宝石。
「うむ、気に入った。それを包んでくれないか」
「ありがとうございます。きっと良くお似合いになりますよ」
 丁寧にお辞儀をしてから、男は「そうだ」と何かを思いだしたようで、荷物の奥の方から小さな包みを引っ張り出した。
「実は、先日助けていただいたお礼にと、あのお嬢様にこれをお渡しいただきたいのですが」
「ん? ああ、かまわないぞ」
「愚息が自分でお嬢様を捜して渡したいと申しておったのですが、さすがに失礼かと存じまして。こちらをお渡しになる際にでも、頼まれ物ということで」
「ん? ちょっと待て、こちらをお渡しに?」
 どうも微妙に会話がかみ合っていない。
 そういえばさっきこの男は、「きっとよく似合うだろう」とか何とか言っていた?
 ……………。
 …………………、おいおい。
「勘違いしないでもらいたいんだが……、僕は別に、」
「分かります分かります、私も若い頃はなかなか素直に言い出せなかったものですよ」
「いやそうじゃなくてだな」
「若君も、ご立派になられましたなあ」
「……………」
 初々しいなあ、というような顔でしみじみと言われては、何だか言い返すのもはばかられたし、今更母上への贈り物だと言うのも、かえって言い訳じみて聞こえるような気がした。
「……いや、いい、分かった。包んでおいてくれ」
 男が満面の笑みを浮かべて、是とうなずいた。


 正直言うと、怖かった。
 ハクに、私の名前を告げたこと。たとえ「ミン」なんて端的なものだったとしても。
 彼は聡い人だから、気付いてしまうかもしれない。
 でもあの時、誤魔化して煙に巻くのは嫌だった。だって、ハクは私の、数少ない友達なんだもの。何ヶ月も仲良くしているのに、名前さえ教えないなんて、ちょっと意地悪すぎる気がして。
 だから、思わず答えてしまった。
 ハクが、あんまりまっすぐに訊くから。
 そういうまっすぐなところ、絳攸さんに似てるなって思ってた。さすが、「憧れている」って豪語するだけあるな、なんて。
 そしてたぶん、鈍いところも、鋭いところも、似てるんだろうな。ハク本人に自覚があろうとなかろうと。
 それはたぶん、強い憧れが生み出した同一化規制。あの人のようになりたい、あの人に近づきたい。そう思う気持ちが、性格にまで及んでいるんだろう。
 たとえハクが、絳攸さんの外面しか知らないとしても。
 もしかしてそのうち、癖まで似てくるのかしら。方向感覚までなくなっちゃったりして?
 夕暮れ空を見上げてそんなことを考えると、少し笑えた。
「何してるんだ?」
 かけられた声に驚いて振り返ると、ハクが立ってた。きょとんとしたような顔で。
「遅いから、来ないかと思った」
 口をついて、正直なところが飛び出した。でも口から出るのは、そこまで。それ以上の深いところは、出さない。
 私が姫だって分かったから、ハクはもう来ないのかもしれない。畏れ多いって、来れないのかもしれない。
 そうなるかもしれないって、覚悟はしていたはずなんだけどな。
 ハクや秀麗や龍蓮みたいに、歳が近くて心を許せる友達なんて、私にはほんの一握りしかいない。だから、絶対に失いたくなかった。
 ハクが来ない。
 それは、私の大事なものがまた1つ、手のひらをすり抜けていくということだから。
「悪い、残業が長引いて、遅くなった。だいぶ待たせたみたいだな。悪かった。だから、そう怒るなよ」
 ハクが困ったように笑う。ああ、もう、そんな仕草まで絳攸さんに似てるなんて、可笑しいったら。
「別に、怒ってなんかいないけど」
「嘘付け。顔に怒ってますって書いてるぞ。ほら、こっちに『怒って』、こっちに『ます』」
 そんな風に言いながら、私のほっぺたをぶにーと引っ張る。
「ひひゃいひひゃい!ひゃめろおーぅ!」
「不細工面が更に不細工面になるぞ」
「もーーー!ハクぅー!!!」


 怒って追いかけてくるあいつは、もういつものミンだった。
 仕事を大急ぎで片づけて、まだ残って奇声を上げている先輩方には悪いと思いつつも、人を待たせていると事情を話して退室して、府庫の裏手に駆け込んだら。
 あいつが。
 こっちに背を向けてすっくと立って、夕焼け空を見上げていた。
 絹の上着の袖が、風にフワフワとはためいて、まるで、それが羽みたいで。
 その背中が、あんまりにも哀しそうで。
 空へ帰れなくて途方に暮れている、天女のように見えた。
 振り返ったあいつの目が、あんまり悲しそうで、今にも泣き出しそうなのを懸命にこらえているようで。
 僕は、そんな顔をさせてしまった自分に、怒りすら覚えた。
 彼女は、きっと僕が、彼女の正体に気付いたって思ってる。確かに、間違っちゃいない。僕は、今目の前にいるこいつが、我らが今上陛下が目に入れても痛くないくらいに可愛がっているという噂の妹君で、こうして二人で会うことはおろか、お目にかかることさえ畏れ多い存在なんだってことに、気付いている。
 こいつの名前が、ミンではなく紫明輝であるということも、知っている。
 だけど、怒って僕を追いかけているこいつは、紫明輝じゃなく、ミンだ。
 ただのミン。
 彼女が抱える不安を、取っ払ってやりたかった。だって、それが友達ってものだろう?
「そうだ、ちょっと手を出せよ」
 訝しげに首を傾げるミンの手に、結局いつの間にかこいつに渡すことになってしまった例の包みを乗せる。
「開けて」
 顎で促す。ミンは首を傾げたまま包みを開いて、そして、言葉を失う。
「友達の証……っていうのも、何か、変な感じだけどな」
 いくら友達だとはいえ、やっぱり女の子にこういうのを渡すのって、照れる。
「まあ何だその……、お前が誰だろうと、僕はお前のこと友達だって思ってるから。お前が僕を友達だと思わなくたって、僕は、そう思ってるから」
 何か、上手く言えないけど。
 たとえ身分がどうであれ、僕にとってミンはミンだからと。ただそれだけを、伝えたいと思った。
「きれい……」
 呟いた声は限りなく柔らかくて、ちょっと、湿っていた。
 あいつは付けていた耳環を外して、僕が贈ったかんらん石の耳環を付けると、「似合う?」と笑った。
「髪に隠れて見えにくい」
 素直じゃない口が、思わず茶化してしまうけれど。
「ありがとう」
 うっすら歓喜の涙を浮かべて柔らかく微笑んだあいつは、思わず呼吸を止めてしまうほど綺麗で、びっくりするほど可愛かった。思わず心臓がずきっと収縮した感じ。
 油断してた。
 こいつはミンだけど、同時にひめさまでもあるんだ。既に上級官吏の方々にも、骨抜きにされる者が続出しているという、あの噂の美姫でもあるんだ。
 本当に、油断してた。
 こしこし、と小さな子供みたいな仕草で涙をぬぐって、ミンは今度はもう一つの包み、あのクソ生意気なガキがよこした方を開いた。
 そして、くすくすと笑った。
 中身を覗き込んだ僕は、頭の上に「?」マークを浮かべるしかない。
 だって、包みの中から出てきたのは、磨きもかかっていないころんとした天然石が1つきり。見たところ、紅水晶かと思われるが。
「天然石か」
「あはは、あの子、どうしようハク、大きくなったら龍蓮みたいになっちゃうかもしれないわ」
「はあ?」
 なぜこの場であの酔狂男の名前が出てくるのか、よく理解できない。
「前にね、龍蓮も同じように紅水晶の欠片をくれたのよ。普通、贈り物ならそれなりに手を加えた加工品とか、装飾品を選ぶでしょう? なのに、龍蓮はあえてこっちを選んだんだって」
「なるほど……、発想が奇想天外だな」
「うん、そうでしょう? 私も意味が分かんなくて、……まあ龍蓮が意味不明なのはその時に始まったわけじゃなかったけど……、どういうことか訊いたのね」
 龍蓮は笑いながら答えたという。
 紅水晶は、異国では愛の女神の持つ石。愛を求める者、愛を与えたい者に力を与えるという。いわば愛の石。
 そなたによく似合うだろう?
「かー……、何か、体がむず痒くなってきた」
 ミンはあはははと笑って、
「ね、奇想天外でしょう? あの子もあんな風になったらどうしようね」
「あの父親のげんこつが飛ぶなら、大丈夫なんじゃないか?」
 するとあいつは「そうね」とふふふっと肩を揺らして笑い、
「ねえ、かんらん石に込められている意味、知ってる?」
「……知るわけないだろ?」
「だよねえ、ハクだもんねえ」
「どーゆー意味だ」
 どうせ僕は、孔雀の羽を頭に付けてるような酔狂男と違って、石の意味になんて詳しくないさ。
 それにしても、あの馬鹿はどういうつもりでそんな意味深なものをこいつに贈ってるんだろう。もしかして、噂されてる「姫君に骨抜きになっている男」っていうのに、奴も含まれてるんだろうか?
 いやまさか、奴に限ってそんな……。
「何してんのハク、今日はこないだ教えてもらったとっておきのお店ってところに行くんだから。早く行こうよ!」
 振り返ったとき、かんらん石の耳環がしゃらりと清い音を立てた。
「教えてもらったって、誰に?」
「龍蓮」
 即答されて、僕はしばし沈黙する。
「……まともな物が出てくることを祈る」
「あら、龍蓮だって舌はまともよ」
 あいつは可笑しそうに笑う。
「車、待たせてるんじゃないの?」
「……そうだった」
 僕は、明るく笑いながら飛び跳ねるようにして裏口に向かうミンの後を追いかけた。
 とりあえず、次に龍蓮の馬鹿が貴陽に来たなら、強制的に宿を提供した方が良さそうな気がした。いろんな人の、心の安全のためにも。


 後日。
 僕は母上からの手紙で、かんらん石の意味とやらを知ることになる。
 かんらん石。別名ペリドット。
 意味は「光の導き」。悪しきものや不安を退散させる力を持つ。


色々捏造色強すぎですみませんでした。
男とか女とか関係なく、珀明は友達を大事にする奴だと思います。

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