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Novel
彩雲国物語 > Sweet Smile

 弟のあんな顔を見たのは、おそらく初めてのことなんじゃないだろうか。
 くすぐったいような、照れたような、やけに嬉しそうな。
 まさかあの弟が、あんな顔をするとは思わなかった。

 あの弟が唐突に貴陽へやってくるのは、別に今に始まったというわけではないのだが、最近とみにその回数が増えたように思える。
 諸国をフラフラしている奴だが、貴陽にだけはあまり近づかなかったように思えていたのだが。
 思い当たる原因というのは、どうも、ひめさまにあるのではないかという気がするのだ。
 龍蓮とひめさまは歳も1つ違いで近いし、どうやら親しい友人という間柄のようだ。
 秀麗殿や影月君が茶州へ赴く直前まで、ひめさまは彼らと特に親しくしていたようだから、その繋がりで龍蓮とも親しくなったのだろう。
 そしてそれは、今日の夕刻に起こった。

 私が執務室から武場へ赴くため宮中を歩いていると、何やら微かに耳に入った怪音。
 ……思わずのけぞりそうになった。
 が、うかうかしてはいられない。
 あの馬鹿が一体どこであの近所迷惑以外の何でもない怪音をまき散らしているのか、突き止めてやめさせなければ。複数の官吏たちに被害が及ぶ前に、そして彼らのタマシイが幽体離脱を起こし、アハ体験ならぬ臨死体験をしてしまう前に。
 ……身内、という言葉がこれほど嫌になることもない。
 まったくどうしてあいつは、好き好んで笛ばかり吹くのだろうか。
 笛以外の楽器ならばかなりの腕前だというのに、嘆かわしいと言うか何と言うか。
 …………。

 音を頼りに走っていると、目的地あたりから、何やら「ふぎゃー!」という猫の断末魔のような声が。
 いかん!何の罪もない小動物にまで被害がっ!!
 そう思って後宮へ続く庭院の門を曲がると。
「ぎゃー!もういい、ありがと!もういいよー!!」
 と地べたに這いつくばってのたうち回っているひめさまの姿が……。猫の断末魔だと思ったのは、ひめさまだったのか。何と言うか、色気もへったくれもない悲鳴だ……。こんなこと口が裂けても言えないが。
「何だ、まだ少ししか吹いていないぞ」
「ううん、すっごいシビレた!感動って感じ!!」
 力一杯訴えて、怪音の根源野郎にガバと抱きつき、笛を押さえつけるひめさま。何と言うか、実力行使でやめさせましたね……?
「そうか、感動してもらえたならいい」
 爽やかに笑って、奴は笛を降ろした。
 ひめさま、肩で息をなさって……。愚弟が申し訳ない。
 と言うか龍蓮、さりげなくひめさまの腰に手をやるのはどうなんだ。天然なのか? それともわざとか?
 ひめさまは「ジャ○アンも真っ青の破壊力っつーか……」などとぶつぶつ呟きながら奴から離れ、それでようやく私がいることに気付いた。
「あれ、楸瑛さん」
「む?」
 こちらはもうとっくに気付いていたろうに、わざとらしく私を一瞥する。
「何か用か愚兄其の四」
 いつもいつもこの言い様にはムッとくるのだが、大人げなく言い返すのもはばかられた。
「いや、笛をやめたのならもう用はないのだがね」
「だったらさっさと戻るがいい」
 相変わらずの冷たい仕打ち。不本意だが、お兄ちゃんちょっと傷つくぞ。
「もう、龍蓮!」
 ひめさまがジロリと奴を睨み上げた。
「お兄さんに向かってそんな言い方ないでしょう! 何よ、今の今まで機嫌良かったじゃない。楸瑛さんと喧嘩でもしてるの?」
「別に」
 素っ気ない返事は今に始まったことじゃないが、どうも龍蓮の視線が必要以上にとげとげしい。……何かしただろうか? なんて不安になるような目だ。
「今日このまままた旅に出るっていうんだから、少しは話しておくこととかあるでしょ?」
「あるかそんなもの」
 切って捨てる早さで返される。思わず兄として、涙が出そうになるセリフだ。
 ひめさまは我々を見比べて、「もー」と牛のように呻っていたが、
「あ、そうだ龍蓮、ちょっとだけ待っててくれる?すぐ戻ってくるから!」
 そう言い放つなり、裾をたくし上げるようにしてダッシュでご自分の室方面へと駆けて行かれた。ひめさまひめさま、あんまりたくし上げると、膝まで見えてますよー!相変わらず、野生動物のような方だ。
「まったく、せっかくの友とのひとときに難癖を付けてくれたな」
 殺気すら孕んだ目で、愚弟が私を睨み付けた。
 ……これは、もしかして…………。
「龍蓮、お前もしかして」
 じろり、と奴は私を睨む。ぶつけられる殺気に気付かないフリして受け流して、
「ひめさまが好きなのかい?」
「死ぬか愚兄」
 半秒もたたないうちに否定された。
 ……あんまり否定が早いと、かえって怪しまれるんだよ龍蓮。
「明輝は良き心の友だ。無粋な推測はやめてもらおう」
「は……、そうですか」
 なぜ私が敬語にならねばならんのだ。
 だがあまり龍蓮を刺激して、眠れる竜を起こしこの場で乱闘騒ぎ、というのも気が引けるため、ここは私が大人にならねば。
「そういえば、ひめさまはぬいぐるみが好きだそうだね」
 さりげなく、さりげなく。
「見たことはあるかい?」
「前に一度」
「実はあれ、いろんなお偉いさん方やら若い官吏やらが贈り物と称して置いていったものなんだよ。本当に、ひめさまはモテるんだねぇ」
「…………」
 ちらと見ると、龍蓮の冷たい視線が私に刺さるようだった。……読まれているのか。
「当のひめさまは、静蘭に夢中なんだけどねえ」
「静蘭?」
 ぴく、と龍蓮の柳眉が歪んだ。おお、意外に正直な奴。
「静蘭と言えば、心の友其の一、秀麗の家人ではなかったか」
「ご名答、その静蘭だよ」
「なぜまた?」
「いやなぜって、私に聞かれても困るんだが」
 まさか龍蓮は、静蘭=清苑公子という事実を知っているのではなかろうな。
 なんていう冷や汗をしばし感じたのだが。
「……相変わらず使えない愚兄だな」
 なして私がお前に使われにゃならんのじゃ!
 激しく反撃したい気持ちに駆られたが、乾いた笑いで必死で飲み込んだ。心の中でギリギリと歯ぎしりしてもかまわないが、眠れる竜を刺激してはいけない……。
「……そうか、静蘭か」
 ぽつ、と呟くように言う弟に、私は別の冷や汗がしたたる思いがした。
 まさかこいつ、紅家に闇討ちにでも行くのではあるまいな!?
 いやいやいや、落ち着け藍楸瑛。静蘭は今秀麗殿と共に茶州ではないか。何も危ぶむことはない。ああ、ないとも。
「茶州に立ち寄ってみるか」
 …………。
 …………。
 …………。
 ………………今、何と?

「りゅうれーん!!」
 タッタッタッと小気味のいい足音を立てて、ひめさまが走ってきた。
 うーむ、運動のせいか頬を上気させて、何とも愛らしいお姿だ。髪はふわふわなびいて、目はきらきらして、まっすぐ自分の方に向かってきてくれるのかと思うと、贈り物攻撃をしかけ続けている官吏たちの気持ちも分からないではないなあ。
 ちらと見ると、おいおい、今の今まで無愛想だったのに、何なんだその態度の違いは。実の兄と会話するのがそんなに嫌なのか! 幼児の頃はあんなに可愛かったのに、兄としてちょっと傷つくぞ龍蓮!
「あのね、これね!」
 はあはあと息をただしながら、ひめさまは握っていた何かを龍蓮に差し出す。
「急いで作ったの。お守り。持ってって」
「お守り?」
 ひめさまの手からソレを受け取る龍蓮。ひょいと覗き込んだ私は、言葉に詰まってしまった。
 縫い目はぐさぐさ、形もいびつだし、縫い目から綿が飛び出ている。
 …………。
 ……ヒメサマ……。
「……ヒトデか?」
「し、失礼ね!星よ!」
 んがっ、とのけぞった後で、どうせ私は秀麗みたいに器用じゃないわよっ! と、ひめさまは頬を膨らませて睨む。
「船乗りについての本で読んだの。船乗りたちは、嵐にあったり遭難しかけたりしたとき、北極星を目印にするんだって。導きの星っていうらしいんだけど、旅を見守る神様なんだって。だからね」
 照れくさいのか、赤くなって俯いて、ぶっきらぼうに彼女は言う。
「龍蓮が、旅の間に病気になったり、事故にあったり、危ない目に遭ったりしないように。……お守り」
 …………。
 …………うわあ。
 ひめさま、それ、無意識でやってるんですか? それって、無自覚かもしれないですが、かなりの男殺し効果ですよ。
「……ありがたく頂戴しよう」
 手の中のいびつなお守りを見つめて、弟は微笑んだ。ひめさまはホッとしたみたいに笑う。
「しかしそなた、もう少し裁縫の腕を磨いた方が良いぞ」
「うっ、うるさいなぁ!秀麗が帰ってきたら教わろうと思ってるの!!」
「後宮の女官に教わればいいだろう」
「うっ……しゅ、珠翠はちょっと……」
 私以上にスゴイから……などとモゴモゴ言うのを聞いて、危うく吹き出しかけるが、それをぐっと堪えた。女性のことを笑うのは良くない。私のモットーなのだ。男ならどれだけこき下ろそうがかまわないが、女性を嘲笑するのは良くない。女性には優しく、それが紳士たる態度というものだ。
「ちょ、うわ、それはカンベン!」
 何事かと見ると、あの馬鹿弟が、ひめさまお手製の星形お守りを髪に結わえ付けようとしているではないか。それはそんな風に使うんじゃありませんと、お兄ちゃん教えなかったかなあ!?
「何を言う、よく見ればなかなか風流な形ではないか。こういう風流なものはぜひ目立つ場所に」
「やーめーてーっ!!そんなの生き恥じゃない!」
「そなたからの気持ちの結晶を振りかざして、一体何がおかしい」
「は、恥ずかしいから見えないトコで持っててっ!」
「それでは意味がない」
「どんな意味じゃー!」
 などと口喧嘩しながら、ひめさまは龍蓮が掲げて持つお守りを取り返そうと、ぴょんぴょん飛び跳ねている。ひめさまと龍蓮では、身長がだいぶ違うから、そりゃ無理ってもんでしょう。垂直飛びで4尺以上飛べるとかいうなら話は別かもしれませんけどね。
 それにしてもやけに楽しそうな、弟の顔。どうも、年齢相応の、普通の少年のように生き生きしているようで。
 私は止めようとするのもはばかられて、その場で眺めるしかできなくなっていた。
「そうか、ではこうしよう」
 飛び跳ねすぎでやや息を荒くしているひめさまを、肩を掴んで押さえつけ、ひめさまの結わえてある鬢の髪紐を、片手でしゅるりとほどいた。
「あ?」
 驚いて、ほどけていく鬢に手をやるひめさま。
 その紅い髪紐に星形のお守りを通すと、首飾りのように、龍蓮は自分の首にかけて結んだ。
「これで問題はなかろう」
「…………」
 言葉が出ない様子のひめさまの、そのほどけてしまった鬢の束をそっと持ち上げると、龍蓮は自分の髪に突き刺さっていた黄楊の花簪を抜き、唇にくわえる。そしてしゅるしゅると音が出そうなほど見事な手つきでひめさまの髪を整え上げ、最後にくわえていた花簪をスイッとさした。
「うむ、思った通りよく似合うぞ」
 思いがけず髪型を変えられてしまったひめさまは、恐る恐るというように手をやり、龍蓮を見上げ、それから私を振り返った。
 私、楸瑛さんから見ても変じゃない? という目だ。
「可愛いですよ」
 弟にしては、なかなか「普通」なものを選んだと思う。私が素直に可愛いと思えるくらいだから。
「この次はもっと良い物を贈ろう。お守りとやらの礼もせねばならんしな」
「え、お礼ってこれじゃないの?」
 と、ひめさまは花簪に触れる。
 ふふ、ひめさまにはまだ、お礼なんてものが次に会うための口実だということがお分かりにならないらしい。
「これから茶州へ赴くつもりだが、明輝、何か秀麗たちに伝言はないか?」
「え? 茶州へ行くの?」
 目をぱちくりさせた後、ひめさまはしばし考えるように目を泳がせた。
 龍蓮、さてはひめさまの口から静蘭の名を出させて反応をうかがおうって作戦だね?
「あ、じゃあ、秀麗に言っておいてもらえないかな。戻ってきたら、お裁縫教えてって」
 龍蓮は微かに吹き出しそうになりながらうなずく。
「他には?」
「他に? そうねえ……、あ、影月に、帰ってきたらまたみんなで宴会やろうねーって伝えて。あと香鈴に、新作楽しみにしてるからって」
「他には」
「え、まだ? えーっと、んじゃ燕青に、食べ過ぎ飲み過ぎには注意してねって」
「………………」
「龍蓮? どうかした?」
 もし誰かに笑ってもいいと言われたら、きっと私は遠慮なく大笑いしていただろう。
 いつも困らされている愚弟が、逆に困っているところを見るのは何となく愉快なものだ。
「……静蘭にはないのか?」
「へ? 静蘭?」
 きょとん、としたようにひめさまは目をぱちくりさせて。
「どして?」
「……好きなのだろう?」
 龍蓮、お前、直球でいくのか。
 ひめさまは、そ、そりゃあ、好きだけどさ、と僅かに頬を染めて、
「それを言うなら、龍蓮だって同じだし。静蘭は、……その、何て言うか、お兄ちゃん、みたいな……」
「…………」
 龍蓮が、凄まじい形相で私を見た。思わず数歩後ずさってしまう自分が恨めしい。必死で「知らん知らん」と首を振るも、奴は懐から世界一危険な楽器を取り出し、それを剣のようにぎゅっと握りしめている。
「愚兄……」
 地の底から這いだしたような声で、奴は私を呼んだ。ああ、奴の背後に、暗黒の大王だの魔界のナニガシだのがうぞうぞと蠢いているように見えるッ!
「ね、龍蓮」
 ひめさまに呼ばれ、奴のイシキは私からひめさまに、イナズマのように向き直った。私はその場に崩れ落ちそうになるのを我慢しながら、二人のやりとりの行く末を見守った。
 ひめさまは龍蓮の服を左手で小さく、きゅ、と握って、うつむきがちに言った。
「ちゃんと……、無事に、帰ってきてね」
「……うむ」
 蕾が花開くような微笑みを浮かべ、奴はうなずいた。
 ……。
 …………。
 ………………私は、狸の置物か何かになっておこうと決意した。
「帰ってきたら、また、旅の話、聞かせてね」
「うむ」
「……待ってるから」
 奴は、今まで見たこともないような表情を浮かべ、ひめさまとの距離を一歩縮めると、ひめさまの後頭部に手をやり、その額にちゅ、と唇を落とした。びっくりして固まるひめさまから、奴はさっと離れ、
「戻ってきたら、旅の間に作った新曲をたっぷり披露してやろう」
「う、うぐぅ!」
 ひめさまが途端に顔を引きつらせる。気持ちは痛いほどよく分かりますともひめさま。
 それにしても、意外に手の早い奴だ。一体誰に似たのやらな。(お前だお前)
「それからそこの愚兄」
「……なんだい」
「戻ったら叩っ斬るから、覚悟しておけ」
「…………時と場所を考えるのなら、受けて立とう」
 すると奴はもう一度ひめさまの方に手を伸ばし、びっくりして思わず身を強ばらせたひめさまを見てクスッと笑うと、もう一度ひめさまの髪に唇を落とした。今度は少し、長く。
 そうしてあっさり身を翻し、「ではな」と片手を上げてスタスタ歩いていった。
 後には、呆然となったひめさまと私だけが残された。

「……どうも、愚弟が申し訳ありません」
 思わずひめさまに声をかけると、ひめさまは苦笑して、
「あれでいて龍蓮って、普通の男の子だと思うけどな」
 アレを普通と言えるとは。前から確信してましたけど、ひめさまってかなりの大物ですよね。
「ね、楸瑛さん、龍蓮が戻ってきて、いつか秀麗たちが帰ってきたら、みんなでごはん食べようね。劉輝兄も清え……静蘭も、秀麗も影月も香鈴も、みーんなで」
 少し淋しそうに笑うひめさまを見て、私は何となく悟ったような気分だった。
 ひめさまにとっても、あの弟にとっても、秀麗殿たちはまるで家族のようなものなのだ。
 だから、人一倍心配だし心に留める。
 そういう面でも、ひめさまと龍蓮は似ているのかもしれない。
 だからこそ、この人にはあの弟に、あんな顔をさせることができるのかもしれない。
「もちろん、私もまぜていただけるんですよね?」
「当たり前じゃない!」
 ひめさまが白い歯を覗かせて笑う。
「楸瑛さんも絳攸さんも、邵可さんも、みーんな一緒よ! あ、黎深さんや奇人さんたちにも声かけてみようかな。大勢集まった方が楽しいよね!」
 楽しそうに計画を立て始めているひめさまを見て、私は人知れず微笑んだ。
 この人は、本当に可愛い。
 秀麗殿とは、また違った魅力を持った人。
「ひめさま、ありがとうございます」
「うん?」
「あの弟の身を、案じてくださって」
 するとひめさまは、「何言ってるの」と困ったように笑って、
「本当は私なんかよりももっともっと、心配してるくせに」
 思わず、ふ、と笑みがこぼれる。
 この方には、隠し事ができない。穏やかな中にどこか刃のような鋭さを秘めていて、ふとした瞬間にそれを見せる。けれど、決して人を傷つけない。傷つけるのではなく、守り、救うために鋭さを扱う人。
 不思議なオーラを纏った、可愛くてたまらない人。
「戻りましょうか」
「うん」
 とりあえず私も、血の繋がった孔雀のような弟が風邪を引かないように、明日雨が降らないよう祈ってやることにしようか。
 美しい夕映えを見上げながら、ふとそんなことを思った。


傍迷惑な弟と、噂の姫君のご関係。あくまでも友達以上恋人未満というスタンスを崩さない二人です。

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