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Novel
彩雲国物語 > Tears

 こねこが死んだの。

   彼女が、ぽつりと呟く。

 子猫?

   俺が聞き返す。

 うん、こねこ。ちっちゃくて、金茶色の毛並みの、可愛いこねこ。

   ため息と共に吐き出される言葉。相づちを打つ、俺。

 飼っていたんですか?
 どうなんだろ。飼ってたって、いうのかな。
 どこにいたんです?
 府庫の裏の、ほら、ちょっと崩れてるところ、あるでしょう? あそこに、一匹だけで。
 あんなところに。親猫は?
 見たことない。たぶん、産み捨てられたのかも。
 …………………。

   親もいない、食べ物を運んでくれる者もない、一匹だけの、ひ弱な子猫。

 見つけたときね、お腹をすかせて、寒さに凍えてたの。手を伸ばして撫でても、動かなかった。死んでるのかと思った。でも違ったの。

   俺の胸にすり寄って、彼女は目を閉じる。

 抱き上げると温かかった。生きてたの。だから、慌てて室に連れ帰って、一晩中温めてあげた。珠翠を呼んで、牛乳を少し温めてもらって飲ませたの。
 元気になったんですか?
 うん。目を開くとね、あのこ、すごく綺麗な目をしてるって分かったの。薄く金色がかった、綺麗な緑色の目。

   ちゅ、と微かな音を立てて、彼女の唇が俺の首筋に埋まった。
   俺は彼女を抱いて、彼女の柔らかな髪を、片手で玩ぶ。

 どうして死んだんです?

   彼女は、まだ俺の肩口から顔を上げない。

 ……この間、すごいたくさん雨が降ったでしょう?
 三日三晩、降り続きましたからね……。

   その三晩とも、俺は彼女と、こうして。

 濡れて、……ううん、濡れるだけならよかった。増水した溝に落ちて……。……………。

   押し黙る彼女の髪に、強く唇を押しつけた。
   より強く、抱きしめる。
   彼女の鼓動と、俺自身の鼓動と、窓の外でしとしとと降り続く静かな雨の音。

 泣いたらどうですか。

   唇を離さないままに、囁いた。

 だめ。
 どうして?
 あのこ、私と遊ぶの好きだった。私が笑ってると、あのこも楽しそうだった。嬉しそうだった。喉を撫でると、本当に嬉しそうにすり寄るの。私が泣いたら、あのこも悲しくなるよ。だから、笑ってあげていたいの。

   意地っ張りと言うよりも、意固地。
   悲しいほどにかたくなな、彼女。
   そういう人を、俺はもう2人、知っている。
   俺の養い親と、彼女の下の兄上。
   でもそのかたくなさは、時として自分をも傷つけているということに、本人たちは気づ
  けない。

 あなたが死んだら、俺は泣きますよ。

   彼女が少しだけ顔を上げた。
   隙をついて、彼女の額に口づける。

 きっと、馬鹿みたいに取り乱して、泣きはらしますよ。状況によっては、後追いとか、考えてしまうかも。
 ……絳攸さんが死んだら、私は泣くかしら。
 泣いてくださいよ。

   苦笑い。
   こんなところで、温度差を感じさせないで。

 絳攸さんは、私を泣かせたい?
 はい。

   めちゃめちゃに、泣かせてみたいです。
   取り乱して、泣きはらして、狂ったように喚く。
   全部全部俺のせいだと。
   全部全部俺のための涙だと。

   ―― あなたを、めちゃめちゃに泣かせてみたい。
   泣かせることで、あなたを支配できるなら。

 泣いてる私と、笑ってる私と、どっちが好き?
 どっちも。
 どっちも?
 どっちも。
 だって、泣くと私、くしゃくしゃだよ? 全然可愛くない。めちゃめちゃぶさいくだよ?
 それでも、です。

   彼女が俺の目を見た。
   暗闇に、衣擦れの音。
   請うような、口づけ。

 もし俺が死んで、あなたが泣いてくれなかったら、俺、絶対成仏できませんよ。

   彼女が、俺の目を見る。
   俺は微笑む。

 ぐっと涙をこらえる顔も、きっと可愛いんでしょうけど。それでも、泣いて欲しいです。泣くことは悪いことじゃない。泣くことが、乗り越える力になるんです。だから俺が死んだら、あなたの涙で、俺を救ってください。

   ほんとうに、ないてもいいの?と、彼女が呟く。

 私らしくないって、思わない?

   そりゃ、あなたはいつも笑ったり怒ったり、感情に忙しい人だけれど。
   泣いたところは、誰も知らない。
   だからって、それであなたが泣いたら、あなたらしくない、って?

 思うわけないでしょう。むしろ、泣かない方が不自然です。

   喜怒哀楽の、哀が欠けているって?
   そんな恐ろしく不自然なこと。

 そっか。
 そうですよ。
 あのこのこと、救えるかな? 私に。
 ええ、必ず。

   たぶん、や、きっと、なんて言わない。
   あなたの欲しい言葉は、憶測じゃない。

 一度、救ったのでしょう? 今度だって、絶対に救えますよ。
 うん。……そうだよね。

   しなやかにしがみつく、彼女の腕。身体。
   包み込むように、抱きしめる。

 俺が、全部受け止めますから。……泣いてください、ひめさま。

   ぽん、ぽん、と、小さな子供をあやすように、優しく背を叩いて。

 ……明日。
 はい。
 明日、あのこのお墓に、一緒に行ってくれる?
 ええ。……花を摘んでいきましょう。
 ……ありがと。

   言う声は、最後まで聞こえなかった。

   ひめさま。
   ひめさま。

   泣くときは、俺の胸で、俺の肩で、俺の腕の中でだけ、泣いてください。
   馬鹿な独占欲だと、笑い飛ばしても結構ですが。
   くしゃくしゃで、ぶさいくで、ぜんぜん可愛くない。
   そんなあなたの泣き顔を知るのは、俺だけで充分です。



ひめさまを泣かせてみたい絳攸。愛情と、背景にあるのは絳攸自身の独占欲。
シーン的にはピロートークです、ちなみに。

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